チョムスキーとの会話(台本)



最初の場面でチョムスキーの生成文法の口頭試問を準備する大学生のカップルが登場 し、「今日、太陽が輝く」と言っていて、ある時「太陽が、今日輝く」と言うとき、伝えようとする内容は同じだが、そこには生れつき人間が持っている柔軟性 と感性が働いていることがわかる。チョムスキーはそこに注目した、というエピソードが紹介されると、続く場面では、舞台がテレビのトークショーのスタジオ になり、チョムスキー自身が、経済学者や視聴者からの質問に答えてゆきます。台本は全て実際のチョムスキーの発言に基づいており、チョムスキー自身が監修 をしてくれました。
「言語学の研究は、人間の行動や社会のさまざまな動作に対する理解に役立ちます。言葉は心の鏡なのです」というチョムスキーの台詞に始まり、ウォルター・ リップマンの「世論」を例に、情報処理の歴史、マスコミュニケーションの情報操作の逸話がわかりやすく紹介されます。自由社会に於いてどのように情報操作 が民衆を誘導してきたか。「わが闘争」を例に、ヒトラーがいかに第一次世界大戦における米英のプロパガンダに感嘆していたかと結びます。

次の場面は、自身の研究の指導教官にチョムスキーを選んだヨハネスブルグ出身の実在の女子留学生の回想です。当時のハーバード大学がいかに英国気取りのス ノッブな雰囲気であったかを、怒りに震えながら話します。「当時は言葉のアクセントから身のこなしまで、実際のイギリスには存在すらしなかったような、正 真正銘のイギリス人がうようよしていました。わたしの研究内容が、南アフリカに関する情報選択をアメリカの大企業が行う事実の検証だと話すや否や、教授ら は顔面蒼白になってわたしへの攻撃が始まったのです。自分が第三国出身の女子留学生でなければ、とうに抹殺されていたでしょう。大学は人種差別や男女差別 が浮き彫りになることを畏れていました」と語ります。

するとまた、テレビのトークショーの場面に戻って、経済学者とチョムスキーが口角泡を飛ばします。
経済学者が「あなたの意見は興味深いが、全ては到底納得できません。あなたは、リベラリズムは何でもかんでも悪の根源のように言われているじゃありません か」と始めると、「もはやリベラリズムは現実に全く即していません。わたしが言っているのは、ニューリベラリズムです。ニューリベラリズムは国営企業の民 営化を促進し、出来るだけ国が経済に直接関わらなくなった結果、市場が経済を支配するようになったのです」。

「あなたの話は経済の発展であって、大変結構ではありませんか」と経済学者が反論すると、「国家という言葉は二つの意味を兼ね備えています。つまり、我々 国民と政府です。ニューリベラリズムでは、我々国民が国家を担わなければならないのです」とチョムスキーが応えます。
「これはとんでもない意見ですな」。
「何でも例に挙げられますが、例えば飲料水です。水はもはや我々の所有物ではなく、民間企業によって商品として扱われるようになります。だから購入しなけ ればいけません。そして社会は企業の利益を保証する必要も出てきます」。
このような攻防の末に経済学者は、「アダム・スミスの唱える通り、市場の"見えざる手"により、各人の利益がひいては全体の利潤に繋がるのは当然だ」と吐 き捨てると、チョムスキーは「経済学者はアダム・スミスを引合いに出すけれど、彼らはアダム・スミスなぞ読みやしません。読んでいれば、現状とリベラリズ ムのシステムが何の接点すらないことは明白です」と反駁します。所々で音楽が切れては、前面のスクリーンにESSOや歯磨き粉のアメリカの古いテレビ・コ マーシャルが投影されます。

次の場面は、パレスチナ人がイスラエル人より後にかの地に入植したという説を唱え1984年アメリカで大ベストセラーになったジョアン・ペータース の"From time immemorial"の検証を行ううちに、事実が全く違うことに愕然とした、場末のバーで酔いつぶれるプリンストン出身の研究者の独白です。
「…調べる程に怪しい部分が明白になってきました。そんな中で私を励まし続けてくれたのはチョムスキー一人きりで、何時しか同僚は挨拶すら返さなくなりま した。研究を止めていれば、お前の輝かしい出世は保証されていたのに、と哀れんでくれる者がせいぜいで、その後一度はシカゴの大学に就職したものの、理由 もなく間もなく解雇されました。ノームに言わせれば、これも情報操作の一旦なのです」。

場面は再びテレビのトークショーに戻り、先ほどの論争が続けられます。自由市場経済のどこが悪いといきり立つ経済学者と、机上の空論の経済は現実とは全く そぐわなず、貧富の格差は広がるばかりだと応酬するチョムスキーの論戦が白熱したところでコマーシャルが入ります。続く場面では視聴者がチョムスキーに質 問を投げかけます。
「教授こんにちは。あなたは戦争の本来の目的は防衛ではないと言われますが、何故他の国へと出てゆくのです」。
「経済的理由からです。アメリカ経済は兵器産業が支えています。全世界の兵器産業の半分をアメリカが担っているのです。富裕層が貧困層を守る名目で戦争を 起こし、貧困層が代償を払ってきました」。
「しかし、幾らかの軍事介入は、人道的な道義のもと行われたのでは」。
「国家が軍事介入するのは自らの利益のためです。1954年、アメリカはグアテマラの民主政権を転覆させ、20万人もの民間人が死亡するグアテマラ内戦を 招いたのは、今やCIAの文書で明らかです。反米共産主義がはびこるのを危惧したアメリカが、ユナイテッド・フルーツ・カンパニーに利潤をもたらすべく策 動したのです」。
「同じような例でチリやベトナムを思い出します」。
「ほんの有名な一例に過ぎません」。
「ニカラグアやエルサルバドルの内戦関与もありましたね」。
「77年アメリカはエルサルバドルの軍事政権を支持し7万人の市民に死をもたらしました。続く81年レーガン政権はニカラグアの軍事政権を支持し3万人の 市民が死に至りました」。

続く場面で遂に反グロバリゼーションへと話が繋がります。
「ノームこんにちは。あなたは度々反グロバリゼーションに言及されています。グロバリゼーションは悪い面ばかりではないと思いますが、何故それほど懐疑的 なのですか」。
「わたしが異を唱えるのは、あくまでもグロバリゼーションの一つの側面だけです。さまざまな文化や人々が交流を深めるのは大変素晴らしい。しかし自由貿易 を隠れ蓑に、常にアメリカやヨーロッパの大企業を現地に捻じ込み集中的に支持することによって地元の産業、農業を疲弊させ、ひいては破綻をもたらす現実が 容認されるべきでしょうか。一般市民がこの事実を出来る限り知らされないよう、彼らは常に腐心してきました」。

こうして迎えるフィナーレで、市民たちは蜂起し興奮のるつぼの中、我に返ったテレビ司会者がチョムスキーに尋ねます。
「どうしてもと言われたら、あなたは政治と言語学のどちらを選ばれますか」。
「もし世界に対し目を閉じれるものなら、言語学だけに関わっていたい。そこにはやりがいがありからです。虚構を剥ぎ本質を炙りだし、歪曲のない情報が誰に でも行き渡るように努めるのです。その意味に於いて我々は未だ豊かとは言えない。だからただ単に…大切なことなのです」。

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