『砂漠の教室線――イスラエル通信』 藤本和子

目次    


砂漠の教室 I

砂漠の教室 II

イスラエル・スケッチI
 ベドウィンの胡瓜畑
 銀行で
 雨の兵士
 スバル
 乗り合いタクシーの中で
 鋼鉄《はがね》の思想


ヨセフの娘たち

イスラエル・スケッチII
 影の住む部屋
 悪夢のシュニツェル
 オリエントの舌

   
――言語としての料理
 
オリエントの舌
   ――ハイファの台所

 あかつきのハデラ病院
 知らない指
 おれさまのバス
 建設班長
 山岳の村


なぜヘブライ語だったのか

    イスラエル・スケッチII


 オリエントの舌――ハイファの台所

 わたしのハイファの台所をオリエントの舌というタイトルの下にもってくることはなんともおこがましい。そう知りつつ、そうするのである。なぜならば中東料理実験室となったわたしの台所は、それなりに中東の言語とまでいわれる料理のなにほどかをとおして出会った人々やものごとについて追体験したりたしかめたり考えたりする場所であったからだ。だいいち、それはかのおびただしき鼠のフンと格闘した戦場であった。そこは、「スーパーソール」と呼ばれるスーパーマーケットにおける戦闘を生きぬいたわたしがもどってきて、ほっとコーヒーを呑む場所だった。
 そう、「スーパーソール」は戦場だった。いつでもものすごい混雑で、野菜を計量してもらうために長い列ができている。じっとがまんして列に並んでいても、つぎはわたしの番というところで、「あたしはほれ、この通り一品しか買わないから、先にやらせて」というようなことをう人物が一人だけでなくあとからあとから現れて、わたしの番なんて全然まわってこない。そんなふうにしてせっかく計ってもらった苺なのに、それをショッピング・カートに入れておいたら、一人のおばあさんがついと手を入れて持っていこうとする。「それ、あたしのです。なにをなさりまする?」と問えば、おばあさん、怒髪天を突いて、「あたしゃ年寄りですよ。年寄りには思いやりを持ちなさいよ!」というのだ。「そうだ、そうだ」と加勢するおじいさんも現われて、わたしは孤立無縁となった。友人に、やはりおばあさんにショッピング・カートからパンを持っていかれた男がいたが、彼が注意したら、おばあさんはショッピング・カートを武器として、彼を襲撃したのであった。「スーパーソール」へは戦いにゆく心構えで赴くのである。
 ジェリコで車を止めたことがあった。いまでもジェリコの人口の大多数はアラブ人である。昼食のために、とあるレストランに寄った。レストランといっても、カウンターで食べるところだった。店はあまり清潔でもないし、ゴタゴタとへんな飾りがしてあるから、どうせたいしたこともないだろうと思ったから期待もせずに、主人のアラブ人がすすめてくれた若鶏の丸焼きを食べたのだったが、これがなんとまあ、すばらしい。鶏じたいもおいしいロースト・チキンなのだが、それに添えてあるソースがすばらしい。
「とてもおいしいです」とわたしたち三人の一行が口々にいううち、店の主人と色々話がはずんで、主人は自分の家庭のことなどを話してくれた。幼い娘がいるが、この子はキリスト教のミッション・スクールに入れた、というのだった。自分は回教徒だが、ミッション・スクールの教育は確実だし、娘に教育を受けさせておくことがひじょうに大事だと思うと。庶民のアラブ人のあいだでは、まだ女は早く嫁に行けばいい、という傾向が一般的なのに、この若い父親の考えはちがうようだった。娘に彼のロースト・チキンを持たせてやると、学校の教師たちがどれほど悦ぶかというような話もするのだった。
 わたしはチキンと茄子のサラダとテヒナを食べて、チキンのソースがあまりにおいしいのでどのようにして作るのか、もしかまわなかったら教えてほしい、とたのんだ。彼のこのソースは彼の発明したもので、ジェリコはおろか、エルサレムにだってこのソースはない、と断言して教えてくれた。その内容は次のとおり。

レモンをしぼってジュースにする。たっぷりとジュースがとれるように、レモンをけちけちしてはならない。そこへ塩とにんにくのみじん切りを加える。そこへ、さらに玉葱をおろして加える。良質の黒胡椒を挽いて入れる。

 これでもじゅうぶんおいしいが、「じつはほかにもなにかありますね」といったら、「そう、そのとおり。でもね、この先は秘密なんだよ」といっていた。わたしはハイファにもどって、さっそくロースト・チキンを作りこのソースを準備した。ソースはあの店で食べた味に近くなった。どうしても教えられない秘密とは、ごく微量の生姜のおろしとうこん根の粉ではないかと思う。それと、鶏を焼くとき、それにオリーブ油と塩と胡椒をぬったりするわけだが、さらにレモン汁をこすりつけ、玉葱のおろしをこすりつけるとよいようだ。鶏のからだの中には、パセリ二本と荒くきざんだ生姜と玉葱とタラゴンとタイムを少量詰めるとおいしい。しかしこの詰め物はべつに中東風というわけでなく、わたしがあちこちで見聞きしたものを綜合し整理したものである。
 この店の茄子のサラダも、茄子が焼き立てのところを作ってくれたのでおいしかった。茄子のサラダの作りかたは以下のよう――。

茄子のサラダ(ババガヌーシュ)
材料
大きめの茄子(べえなす)三個、にんにく二片〜四片、塩、テヒナ カップ二杯(マヨネーズでもよし)、ひめういきょう粉 茶匙二分の一(なければなしでよし)、パセリのみじん切り 大匙二杯、あれば黒いオリーブ、あるいは薄く輪切りにしたトマト(飾り)

 テヒナはじつに中東人の大好物で、食前にピタにテヒナをつけて食べないことはまれである。テヒナは白ごまをすったものである。手に入らない場合はマヨネーズを使う。また、ここでいう茄子はいわゆる「べえなす」と呼ばれている巨大なものである。それがない場合は、ふつうの茄子五〜六個を「べえなす」一個と見ればよいと思う。ひめういきょうは「カミン」と呼ばれている。

作りかた
ここに記した材料はかなり多量のババガヌーシュを作るためのものであるから、必要に応じて減らせばいい。
まず茄子を焼く。炭火が理想的であるが、だめなら、ガスで網焼きにすればいい。皮が黒くなり、火ぶくれになるまで焼く。茄子の身がやわらかく、水っぽい感じになっているはずである。焼けたら、水道の水を流しながら、皮を剥く。黒く炭化した部分は残さずに取り去る。それから、そおっと汁を絞り出す。苦いからだ。
汁を絞り出した茄子をボールに入れて、フォークでつぶす。あるいはすり鉢に入れてペースト状になるまでたたきつぶすようにしてもよい。電気ミキサー(ブレンダー)にかけてもよい。
そこへにんにくと塩を一緒につぶしたものを加える。テヒナ(あるいはマヨネーズ)とレモン汁を少しずつ入れながらよく混ぜる。味をみて、塩やレモン汁やにんにくを追加する。最後にあれば、ひめういきょうを少々加える。これをボールかめいめい皿に盛って、パセリのみじんぎり、トマト、オリーブなどできれに飾ってできあがり。ピタと呼ばれるアラビア・パン、あるいは他のパンと一緒に出して、オードブルに。あるいはサラダとして食べてもいい。
なお、ババガヌーシュというとテヒナの入った茄子のサラダをいうわけだが、テヒナ(あるいはマヨネーズ)を入れない、いわば茄子のピューレーとして食べることもしばしばある。このほうが味がさっぱりしているから、そのほうが好きだというひともいるだろう。

 サラダはたいへんい種類が多い。中東でサラダというと、レタスの葉が基本になって、その中に色々入れるというのではなくて、生野菜を細かく賽の目に切ることが多い。ひき割り麦も使う。マッシュルームは油で料理して冷まして使う。フムスというのは「ひよこ豆」とも「エジプト豆」とも呼ばれる豆をすりつぶしたものだ。サラダ用のオイルはオリーブ油がふつうだが、これをふんだんに使う。オリーブ油を飲んで疲れをとる人もいるほどだ。(良質のものなら、植物性サラダ油でじゅうぶんだとわたしは思う。日本ではオリーブ油は高すぎる。)ドレッシングの基本はオリーブ油とレモン汁と塩と胡椒だが、そこにつぶしたにんにくを加えることも多い。レモン汁とオリーブ油を五分五分の割合で入れてずいぶん酸っぱくして食べる人もいるが、フレンチ・ドレッシング程度の割合にしたほうが無難かもしれない。レモン汁一に対し、オイル三である。パセリのみじん切りはほとんど例外なく散らすが、中東のパセリは葉にパーマネントがかかったようなチリチリした種類ではなく、いわゆるイタリア・パセリと呼ばれる平たい葉のものである。これは味も舌ざわりもちがうのだが、ない場合はふつうのを使うよりしかたがない。はっかの葉を細かく切って加えたりすることもある。

サラダ
1 ミックス・サラダ
材料
レタス、きゅうり、トマト、玉葱、赤かぶ(なければいらない)、パセリ、ディル、はっか(あれば、のこと)。
作りかた
レタスは細かく、トンカツのつけあわせのキャベツのように切る。きゅうりもトマトも小さな賽の目に。玉葱はみじん切り。それをまとめてボールに入れて、赤かぶを薄く輪切りにしたものと、みじん切りのパセリとディル、ミントなどを加える。
ドレッシングはオリーブ油(サラダ油)とレモン汁を三対一の割合にして、塩と一緒にしてつぶしたにんにくを入れ、味をみながら塩と胡椒を入れる。

 ドレッシングは食べる直前にかけること。べつにどうということもないように思えるが、野菜を細く切ると、ドレッシングの味がよくついておいしい。

2 ヨーグルトときゅうり
材料
きゅうり二本(賽の目に切る)、塩、にんにくニ、三かけ、ヨーグルト(もちろん甘くしてないプレーン・ヨーグルト)カップ一杯半、白胡椒、はっか(生のものなら大匙三杯、乾燥したものなら大匙一杯)
作りかた
賽の目に切ったきゅうりをざるに入れて三十分そのままに。塩と一緒ににんにくをつぶして、そこへまず大匙二、三杯分のヨーグルトを加えて混ぜる。それを残りのヨーグルトに加えて、よく混ぜる。塩と胡椒を入れる。ミントを加える。はっかがこのサラダの味を決める。きゅうりの水を切って、ヨーグルトのドレッシングに加える。飾りには、みじん切りしたはっかを加えるとよい。これはトルコ風のサラダである。

3 熱を加えて処理したサラダ
じゃがいも、ビート、ズキニ、いんげん、カリフラワーなどゆでるか、蒸すかして、賽の目に切ったり輪切りにしたりして、例のオイル、レモン汁、にんにく、塩、胡椒のドレッシングをかける。

4 ほうれん草とヨーグルト
ほうれん草をゆでて、ニ、三センチに切っておく。ヨーグルトとにんにくのつぶしたのを、卵をとくようによく混ぜて、冷たくなったほうれん草にかける。塩、胡椒してから食べる。

5 マッシュルームのサラダ
 これはギリシャに伝わるサラダ。
材料
マッシュルーム 二百グラム、オリーブ油 大匙三杯、水 大匙一杯、レモン汁 レモン半個分、タイム(なくてもいい)茶匙二分の一杯、パセリのみじん切り 大匙四杯、にんにく 一、二かけ。
作りかた
マッシュルームを洗って、よく水を切る。大きすぎると思ったら、半分に切る。深めのフライパンにオリーブ油と水を入れて熱し、そこへマッシュルーム以外の材料を全部入れ、煮立たせ、それからマッシュルームを入れて、弱火で十分ほど。十分では長すぎることもあるので注意。マッシュルームがやわらかくなったらできあがり。よく冷やして食べる。

6 タブレー(ひき割り麦のサラダ)
 これにはどうしてもはっか(ミント)が必要である。レバノンのサラダ。
材料
ひき割り麦 二百グラム、玉葱大きめの一個(みじん切り)、塩と黒胡椒、パセリのみじん切り カップ二杯ぐらい、ミント(みじん切り)大匙三杯(生の場合) 大匙二杯(乾燥したものの場合)、オリーブ油 大匙四杯以上、レモン汁 大匙四杯、レタスの葉少々。
作りかた
サラダを作る三十分前にひき割り麦を水につける。ふえて大量になるはず。それから、手で絞るようにして水を切り、乾いたふきんの上に広げる。
手でみじん切りの玉葱をつぶすようにしながら、ボールにとった麦とまぜる。塩と胡椒で味をつける。パセリとミントとオリーブ油とレモンを加えてよく混ぜる。味をみて足りないものを適当に追加する。レモンの味が強くないといけない。にんにくを加えてもいい。
タブレーはめいめい皿にレタスを敷いて、その上に盛りつけて出すのがふつうだが、大皿につけて、黒オリーブやトマトやきゅうりやピーマンで飾りつけてもきれいだ。

7 茄子とトマトと赤とうがらし
これは友人のシュラミット・ラズが教えてくれた。シュラミットとその夫のヤコブは、東京に四年ほど暮したことのある夫婦だ。二人はテルアヴィヴに住んでいて、砂漠の教室から逃げて訪ねてゆくと、おいしいものを食べさせてくれた。満腹したら、わたしたち四人は居間の床に座ぶとんを敷いて寝ころんで、井上陽水とか布施明とかのカセット・テープを聴くのがならわしだった。シュラミットがこの二人の大ファンだからだ。シュラミットは陽水の歌や布施明の「シクラメンのかほり」を上手に歌った。床のざぶとんに寝転んでいるといやにのんびりした気分になって、雨の午後など、わたしたちはそんなふうにしたまま何時間もゴロゴロしていた。

 ヤコブは勤勉に勉強して、「日本の伝統演劇における観客の性格とその歴史」というようなテーマで立派な論文を書いて、ついに博士になってしまった。
 シュラミットの茄子のサラダの材料は、茄子とにんにくとトマトと水と塩とレモン汁と赤とうがらしだ。
 作りかたは簡単。まず茄子をたてにスライスして、それを油で焼く。べつににんにくと皮を剥いたトマトのぶつ切りと水と塩とレモン汁と赤とうがらし(細かく切って)を煮立てて、これを茄子にかけるのだ。冷蔵庫に入れてよく冷まして食べるとすばらしい。何日でもよくもつから、多量に作っておくといい。にんにくは大目に、トマトは茄子二個に対して一個ぐらい。レモン汁や赤とうがらしは好みで適当に。

「スーパーソール」で一週間分の食糧を買いこむと、やけに髪をもしゃもしゃにしたアラブ人が届けてくれるのだった。アラブ人の大学教授という人にも会ったが、やはりアラブ人の多くは非熟練労働に従事していることが多い。その理由として、あるアラブ人は、貧しさだけでなく、アラブ人が兵役につけないことあげていた。アラブ人が兵役につけるようになれば、兵役期間に受けられるさまざまな教練の一部が職業訓練となって役に立つだろうと。イスラエルのユダヤ人はアラブ人を兵役につければ危険だと考えているから徴兵しないわけだが、われわれイスラエルに住むアラブ人がイスラエルを相手にとって反逆するつもりなら、もうとっくにしていたはずだ。反対に、われわれはこんなにおとなしく暮してきたことを考えて、兵役の点でも平等にあつかうようにすることが、イスラエルのためになるはずだと。髪の毛をやけにもしゃもしゃにしたアラブ人がわたしの食糧の重い箱を肩にかついで届けてくれるたびに、わたしはその人のその言葉を思い出した。そして、箱から肉などを取り出し、食事の用意をした。イスラエルの滞在ももう終りに近づいていた。
 エジプト料理といわれる、ひよこ豆(エジプト豆)とズキニと牛肉のシチューを作った日は急に変に暑くなって、それまで咲いていた「クイーン・メアリのレース」があっというまに立ち枯れ、翌日は庭一面に黄色い花が咲いた。もうハムシーンがやってきたのだ。砂漠から吹いてくる熱風である。この風が吹くと頭痛になって寝込んでしまう人もある。そのつぎには、オクラと子羊の肉のシチューを作った。オクラは日本でももう一般的に売られているから、作りかたを書いておこう。子羊の肉でも、牛肉でもいい。

オクラ入りシチュー
材料
オクラ 四百グラム、玉葱大二個、にんにく大きいのを一かけ、油 大匙一杯半、角切りのシチュー肉 四百グラム、よく熟れたトマト 百五十グラム(輪切り)、トマト・ペースト 大匙一杯(なければトマトピューレー大匙二杯)、塩、黒胡椒、レモン汁一個分、コリアンダー(こえんどろ)少々(なければなしでいい)
作りかた
オクラを洗って、ヘタをとる。玉葱をぶつ切りにして、丸のままのにんにくといためる。コリアンダーがあれば一緒にいためる。そこへ肉を入れて、よくいためる。オクラを入れて、ほんのしばらく静かにいためる。トマトを入れてさらにいため、水をひたひたになるくらい入れる。トマト・ペーストも少量の水でといて加える。塩と胡椒を加えてよくまぜ、煮立ったら火を弱めて、一時間半かそれ以上、肉と野菜がやわらかくなるまでゆっくり煮る。水が必要なら少し足してもいい。煮上ったらレモンを入れる。塩と胡椒の加減をみる。

 これらのシチューはローデンの本から教わったものだが、この本でもう一つよいと思ったのは、ヨーグルトと大麦のスープだった。ベースは鶏のスープである。

大麦とヨーグルト入りのチキン・スープ
材料
玉葱 大一個、バター 大匙二杯、チキンスープのストック カップ三杯半、玉麦(これは大麦を丸くすったものだが)約八十グラム(一晩水につけてふやかす)、みじん切りのパセリ 大匙二杯、塩、白胡椒、ヨーグルトカップ三杯、乾燥したはっかを細かくしたもの 大匙二杯。
作りかた
大きめのソースパンにバターをとり、玉葱をやわらかくなるまでよくいためる。そこへチキンストックを加え、煮立たせる。玉麦の水をよく切ってそれを加え、一時間ぐらい弱火でよく煮る。パセリと塩と胡椒を入れる。
ヨーグルトを泡立器でよくかきまぜる。スープを足してもよい。泡立てる要領で力を入れてじゅうぶんまぜる。煮立たせるとヨーグルトが固まってしまうので、煮立たせないように注意しながら少しずつヨーグルトをスープに入れる。
塩加減をみてスープ皿につける。はっかをふりかける。
 玉麦が入手できなければふつうの大麦でもできると思う。はっかがどうしても手に入らなければ、入れなくても、スープはじゅうぶんおいしい。チキンスープのストックはやはり自分で作ったものが一番だが、忙しければそうもいっていられないから、罐詰のチキンスープ(澄んだもの)や固形スープでもいいのではないか。自分でストックを作る場合はガラや手羽や余りものの鶏肉をあわせて、セロリや人参や玉葱を入れて一時間半ぐらい煮て、できたら瀘して使えばいい。鶏肉を多く入れればそれだけおいしくはあるが、ガラや手羽などを入れて作ったものにコクが足りなければそこへ固形スープで補えばいいのだ。

 ハイファの目抜き通りの肉屋はいつも混んでいた。バス停の前の店だ。じっと並んで順番を待って買うが、並ぶのなんか絶対にいやだ、あたしはそんな時間がないのよ、とわめき立てていた若い女性もいたっけ。先週はビニールの袋をただでくれたのに、今週はなぜ三十アガロットも払えというのよ、とおそろしい剣幕で抗議していたドイツ系の婦人もいたっけ。わたしはその店でかたまりの牛肉を挽いてもらうことにしていたが、挽いてもらうときに「筋と脂を落としてね」というと、アラブ人の助手はいつも「そのようなことは禁じられている」と答えた。いったい誰がどのようにどう禁じているのかさっぱりわからない。でも、いつもそういうのだった。そこで挽いてもらった肉で、わたしはコフタ・メシュウェヤ(挽肉の串焼き)やコフタ・ビル・サニア(ミートローフ)や「婦人のふと腿」と呼ばれるトルコ風ミートボールなどを作ってみた。

挽肉の串焼き
材料
子羊(ラム)あるいは牛肉の挽肉 四百五十グラム、玉葱一個(すりおろす)。玉子一個、塩、胡椒、この他に次のようなスパイスを入れるとよい。――粉末のシナモン 茶匙半杯、あるいはオールスパイス 茶匙半杯、あるいはカミンとコリアンダーをそれぞれ茶匙四分の一ずつ。
作りかた
中東の挽肉料理は挽肉をこねるようにするのが特徴。この串焼きの場合も挽肉がとても柔らかくなめらかになるまでこねるのが秘訣とされている。挽肉と他の材料を会わせてよくこねたら、ソーセージのように形を整えつつ金串につける。(金串は平形のものがよい。)一個の肉のかたまりの長さは七センチぐらい。炭火で焼くのが理想だが、なければオーブンのブロイラーを使うか、ガスで焼くかになる。金網にはよく油をしくこと。焼きながら金串を回転させてまんべんなく焼くように。あたたかいピタの中に入れて食べることが多いが、たきたての御飯の上にのせて肉汁を受けるようにして食べるのもおいしい。サラダをそえる。
挽肉の串焼きを作るときに、シシカバブも一緒に作るといい。その場合、つけ汁を用意して、肉をしばらくつけたほうがおいしい。つけ汁はオリーブ油とレモン汁とすりおろした玉葱とベイリーフとうらごしのトマトなどを会わせ、それに塩、胡椒、オレガノ(あるいはタイム)を加えて作るのが一つ。古典的なトルコ風のものはオリーブ油とレモン汁とシナモンと塩と胡椒だけである。

 わたしが作っていたミートローフはふつうのミートローフとそれほどちがうわけではないのだが、スパイスとしてシナモンやオールスパイスを使うかわりにカミンとコリアンダーを使った。玉葱はみじん切りでなく、おろし金でおろして入れる。そして中火のオーブンで四十分位焼いたら、トマト・ペーストを少々の水でうすめたものを、その肉の上からかけてあと十分位焼く。でき上ったら、その上にパセリのみじん切りをたくさんかけると、トマトの赤とパセリの緑色がとても美しい。

 さて、食事の最後の仕上げにはプディングとトルコ・コーヒーがいい。中東には色々なプディングがあるが、材料は米やとうもろこし粉や小麦粉で、オレンジ・ブロッサムやばら香水や乳香酒やシナモンでほのかに香りをつける。砕いたアーモンドや乾し葡萄やその他の木の実を散らして飾る。オレンジ・ブロッサムやばら香水が日本で手に入るかどうか調べてから、べつの機会に作りかたを書こう。ない場合、なにを代用に使ったらよいか、それも調べよう。
 さて、トルコ・コーヒーだが、これはコーヒーの豆を挽く道具をもっていればできる。あるいはコーヒーの豆を売っている店で一番細かく挽いてもらえば、それでもいい。
 わたしにトルコ・コーヒーの入れかたを教えてくれたのはイスラエル共産党アラブ党員の夫人で、なかなかおっかない奥さんだった。彼女は四五歳ぐらいで、背が高くすらりとしていて、絵を描く女性だった。二人のアパートは三階にあったが、一階の入口を入ると壁じゅうに巨大な花がたくさん描いてあって、それが三階までの階段の壁、踊り場の壁と、とぎれることなく続いて、二人のアパートのドアを開けるところまでずっと続いていた。家の中も、野性的なというか、かなり粗いタッチで描かれた極彩色の花盛りで、洗面所にも、床から天井まで、花、花。では、その彼女によるトルコ・コーヒーの入れかた――。

一人分の材料
細かく砕いたコーヒー 茶匙山盛り一杯、砂糖 茶匙すりきり三杯(これは好みによって調節)、水 デゥミ・タス・サイズの小さなコーヒーカップ一杯分。
これらを手鍋のようなものに一緒に入れて沸騰させる。沸騰したら、こぼれないうちに火から下ろす。これをあと二度繰り返してでき上り。熱いところをすぐに呑む。これにしょうずくの実を入れることも多い。コーヒー・カップの底にコーヒーがたまるが、匙で混ぜて呑んではいけない。

 共産党員へのインタヴューは二時間と約束してあったが、ついつい三時間ほどになってしまった。夫人が「夫の健康が心配」といって、わたしたちを帰らせた。沈黙のおばあさんも出てきて見送ってくれた。彼女は党員氏の母堂であるが、にこにこしているだけでなにもいわない。白髪のこのおばあさんはなんだか日本のおばあさんみたいだった。歴史の転換期や戦争をいくつも見てきたおばあさんだな、とわたしは思ったが、アラビア語ができないわたしは沈黙のおばあさんになんといったらよいかわからなかった。
 その日、党員氏のつぎのインタヴューは、アウシュヴィッツ強制収容所を生きのびたサロニカ出身の男性だった。そのインタヴューのあと、わたしたちはどうやって家まで帰ったのかおぼえていないのだ。雨が降っていた。どうにかともかくアパートまで帰りついたら、もう真夜中だった。わたしたちは黙りこくって台所でスープを呑んだ。そう、あの台所はたしかに、さまざまな人々に会いに行って話を聞かせてもらう生活を送っていたわたしたちの給油所だった。人造大理石でできた流し台やカウンターのひやりとした感触や大雨の日に窓ガラスを打つ木の枝のことを思い出す。最近、女医の家主のぐあいがまたあまりよくないと人づてに聞いて、わたしは遠い台所のことを思う。あの台所にもどることをおそれている一人の女性のこころの闇のことを思う。


河出書房新社 1978年11月25日発行




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