作曲家の自作自演


「作曲家の自作自演を訪ねて〜ストラヴィンスキー」

 イゴール・ストラヴィンスキー(一八八二−一九七一)が作曲家として成功したほど、指揮者として成功したということはできない。かれは一九三六ー三七年のシーズンにトスカニーニの後任候補として、エネスコやチャベスと共に試験的にニューヨーク・フィルの客演指揮を分担したこともあり、また一九四〇年にはエリカ・モリーニの伴奏者としてチャイコフスキーの協奏曲を同楽団と共演した記録(Erica Morini Vol.2, DOREMI DHR-7772)も残されている。だが「かれは本当の意味で指揮者ではなかった」とブレーズがいうように、指揮者ストラヴィンスキーの評価はけっして高いものではない。その洗練を欠くぎこちない指揮ぶりをご存知の方も多いと思うが、ストラヴィンスキーは演奏について「鐘を打つようなもの」といったことは有名だ。この言葉は「打てば鳴る」ことであり、いいかえれば「オーケストラを楽譜通り振りさえすれば正しい音楽が鳴る」ということで、シゲティのような演奏の新古典的主義と同じと考えられている。つまり楽譜の忠実な再現で、これは一方で真で、もう一方で偽であることがストラヴィンスキーの場合やっかいな問題としてある。
 
 一般にストラヴィンスキーの指揮活動は、CBSの二二枚からなる「IGOR STRAVINSKY 1882-1971 THE EDITION」(現在はばら売り)にある一九六〇年代の録音を中心に語られることが多い。ブレーズは「若い頃は、ストラヴィンスキーの個性が技術的な弱点を圧倒していたはず」と述べているが、ストラヴィンスキーは一九二〇年代後半から録音をはじめ、「ペトルーシュカ」や「春の祭典」を幾度か録音しており、そこには明らかに晩年のものとは違う何かがある。だがそれはブレーズが言うような「技術的な弱点を圧倒」する「個性」では決してない。
 
 音楽の歴史のなかでストラヴィンスキーは、時代の音楽的意識にゆさぶりをかけた真の革命家だった。スキャンダラスな騒動を巻き起こした「火の鳥」や「ペトルーシュカ」「春の祭典」といった作品はすべて古い秩序、音楽、世界の破壊をあらわしており、その源泉は生命の思想にある。その盲目的ともいえる生への衝動は「春の祭典」の冒頭から明らかだ。祭典の開始を告げるファゴットはその異常とも思える音の高まりによって提示されるが、それは世界の祭典のなかで全てを集約する極限的な声であり、激しいリズムの躍動は聴衆を渦巻く熱狂的酩酊へと導いていく。
 ストラヴィンスキーはこの後新古典主義へと進んだが、これは当然の成り行きだった。シェーンベルクが無調表現主義から十二音技法による新古典主義に向ったように、かれも非合理への反省から新古典主義へと向かった。だがこの方向修正は過去の作品までも変質させてしまった。「火の鳥」や「ペトルーシュカ」の改訂版(共に四七年)にあるのはこれだ。一見すると編成の縮小にしか思えないが、新古典的な純音楽化あるいは洗練を示しており、本来曲がもっていた音の喚起力や生命を大きく失っている。
 
 ストラヴィンスキーはハーバード大学での講演「音の詩学」で、作曲を感情を廃した「神の恩寵」として説明した。つまり無垢な意識の状態で感性的な刺激を受け取り、作曲家はただ職人のようにそれにフォルムを与えさえすればいいという。この無責任な疑似形式主義の思考が「火の鳥」や「ペトルーシュカ」の改訂版の明快な答えだが、演奏についての「鐘を打つようなもの」という言葉もこれと密接に結びついている。演奏家はフォルムの与えられた楽譜を職人のように再現すればよく、そこに何ものをも付与する必要はない。ストラヴィンスキーがアンセルメのような職人的な指揮者を好んだ理由も納得がいくが、一方、カラヤンがスポーツカーのように華麗に「祭典」を乗り回すことには耐えられなかった。
 
 晩年のストラヴィンスキーによる「火の鳥」「ペトルーシュカ」「春の祭典」の演奏が貧しいとすれば、曲の成立時にあった生への衝動を疑似形式主義風にまとまりをつけたことにある。それは新たに武装して身につけたものだが、身につけた分何かがこぼれ落ちてしまった。だが、こぼれ落ちたものが何かを知りたければ、一九四〇年にニューヨーク・フィルと録音した「春の祭典」と「ペトルーシュカ」(IGOR STRAVINSKY COMPOSER & CONDUCTER Vol.1 , 3 CDs ANDANTE 69948 71960 2 9)をきけばいい。特に「春の祭典」は荒々しい音の表面が造形を際立たせているが、ストラヴィンスキーの音楽は元来ロシアの民俗音楽に発しているように、いわゆるアジアなどの伝統音楽同様、リズムや音程の微妙なズレが色彩的に対比されて音楽を活気づける。ザクザクと野生の力を掘り起こすような反復的な麻痺状態、ヒステリーの狂気、そして暴力、それらは指揮やオーケストラの合理を越えた音楽への意志であり、この非合理の意志だけが「春の祭典」に生の輝きを与えることができる。
 
 ストラヴィンスキーは職業指揮者としてではなく、作曲者として「春の祭典」に立ち向かっている。この意味でブレーズの「かれは本当の意味で指揮者ではなかった」という言葉は正しい。だが同時に「本当の意味の指揮者」、たとえばブレーズのような指揮者には決してできないリアルな音の世界がある(大きな違いはブレーズは構造的に音楽を捉えていることにある。ストラヴィンスキーの音楽は造形的だが構造的では決していない。この違いは大きい)。つまりストラヴィンスキーの演奏から感じるのは「技術的な弱点を圧倒」する「個性」ではなく、逆に、作曲者が技術的弱点を武器に、自分のイメージした音楽に忠実に従っているということ。それは音楽が生まれた社会の価値やエートスのなかで、革命家ストラヴィンスキーの内部に「生きられたもの」、つまり破壊的な野生の詩学だ。



「作曲家の自作自演を訪ねて ジョルジュ・エネスコ」

   前世紀の偉大なヴァイオリニスト一〇人を挙げるなら、クライスラーやイザイなど共にジョルジュ・エネスコの名前を外すことはできないだろう。今年、没後五〇年を迎えたかれの録音は特にJ・S・バッハの「無伴奏ソナタとパルティータ」が有名だが、その知名度に比べると、他の有名なヴァイオリニストほど再発売も少なく、注目度も低い。だが、その理由にエネスコの音楽の特殊性があるように思う。
 
 エネスコと同時代を生きた有名なヴァイオリニストや弦楽器奏者に共通するのは、簡単にいえば演奏家の強烈な個性だろう。たとえば、クライスラーの優美な音色とウィーン風の様式、新古典主義を代表するシゲティの強烈な意志など、かれらにはその演奏を明りょうにことばにできる要素がある。しかしエネスコの演奏はクライスラーやシゲティのように簡潔にその演奏をあらわすことは難しい。「無伴奏ソナタとパルティータ」をきくとそれがよく分かる。  エネスコのバッハはシゲティなどと比べると、かれ自身の個性を強烈に押しだしていない。複雑なアクセントの伸び縮みから、音色が空間を開いていくように増殖して戯れている。音色が質を変え、さまざまな出会いをくり返すエネスコのポリフォニックな感覚は、シゲティの一元的な統合力から生まれるバッハから決してきくことのできない音楽の複雑さと同時に、バッハの音楽が開かれた窓のように、広々とした音の風景をあらわしている。シゲティの演奏が圧倒的に「シゲティのバッハ」をきかされてしまうとすれば、エネスコは個性や自我を捨て、きき手にバッハの音楽の魅力を開いている。つまりエネスコの特異性は、クライスラーやシゲティのような個性に耳を傾けようとすればするほど、エネスコ自身が逃れていってしまうところにある。こうした音楽の特徴はかれの自作自演にもはっきりあらわれている。
 
 エネスコの自作自演はヴァイオリン、指揮、ピアノによる録音が残されているが、その数は多くはない。手持ちのディスクでは同じルーマニアの名ピアニスト、D・リパッティと共演したヴァイオリン・ソナタ第二番、第三番「ルーマニア民俗様式で」、ピアノでは抜粋で組曲第一番作品三、組曲第二番作品一〇とヴィオラとピアノの「コンサートの小品」、そして指揮ではオーケストラ組曲第一番作品九(ここまではDante HPC091-92に収録)とルーマニア・ラプソディ第二番(リパッティ追悼演奏会の記録、Tah426 )などがある。
 
 どれも素晴らしい演奏だが、なかでも興味深いのがソナタ第三番「ルーマニア民俗様式で」だ。曲は標題通りルーマニアの民族的な声にあふれた傑作だが、ヴァイオリニストとしてのエネスコ以上にかれの作品はほとんど取りあげられることはない。そもそも作曲家エネスコはヴァイオリンの影に隠れたこともあるが、バルトークやストラヴィンスキーのような民族主義的な強烈なインパクトも少なく、シェーンベルクなどの一派から見ればあまりに「ロマン的」だった。エネスコの作品はフランス風の装いをまといながらルーマニアの音楽の本質を盛り込んだため、特徴がつかみにくく、しかも演奏が難しいこともあり、容易に演奏効果を得ることができない。だからこそ、この「ルーマニア民俗様式で」にはエネスコの自作自演の魅力のすべてが凝縮されている(三月にエネスコの別の録音がEMIから発売されるらしい)。
 
 この曲はルーマニアの装飾的な歌にあふれているが、たとえば、ルーマニアの民謡を編曲したバルトークは、打楽器的な強調によって民族性を強く打ちだしたが、エネスコはルーマニアの歌を自然な形で持ち込んでいる。そこにあるのは、ヴァイオリンのイントネーションも含めて、かつてルーマニアの伝統音楽(歴史的録音など)にあったような表現だ。それは近年流行りのハンガリーのラカトシュのような表現ともまったく違う。かれのヴァイオリンが圧倒的な技術と熱狂的な陶酔(個性)にあるとすれば、エネスコは時代の違いもあるが、もっと素朴に民族的な根に結びついている。それは西洋音楽風のアーティキュレーションのメリハリが生む多彩さや、感情の起伏がもたらす劇的ドラマではなく、一つの旋律の連なりに潜在するポリフォニックな感覚(バッハにも共通する)にある。装飾的な声が別の声を呼び覚まし、連続しながら螺旋状に戯れる音色の音楽とでも呼べるものだ。
 
 ヴァイオリンではないが、エネスコにはサラサーテの「チゴイネルワイゼン」をアレンジしたピアノ・ロール(fone90F15CD)がある。これは個人的にはどんなヴァイオリンの演奏できくよりおもしろい。曲は「ジプシーの歌」という意味だが、エネスコはサラサーテのヨーロッパ化した「ジプシーの歌」を元の歌に引き戻すような演奏をしており、ルーマニア・ラプソディ第一番にあるように、メロディの後ろにツィンバロンを響かせている。
 
 エネスコを支えているこうした民族的な根を今の演奏家から感じることは難しい。ソナタには幾つかの録音があるが、なかには伝統音楽とクラシックを両立している演奏家の録音もある。それらをきくと付けたしの部分が多く、細部を誇張し、ドラマティックな起伏で歌い上げている。クラシックの演奏ではよくやられる方法だが、そうなってしまうとルーマニアの暗い部分だけが強調され、本来の生成・分岐するような歌の流れを消し去ってしまう。さらにエネスコの演奏にききなれた耳にはイントネーションが平均律風で、どうしても到達すべき音が中途半端に留まって、光が届かないような印象すら受ける。
 
 エネスコはルーマニアという影を背負いながら光に向かって自由に戯れ、遊んでいる。先に述べたように、かれの演奏は解釈に耳を向けると大切なものが通り過ぎてしまう。だが耳を開いて巨大なエネスコという人間のすべて受け止めることができれば、その音楽の偉大さを理解することができるだろう。
 


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