水牛のように

2001年7月 目次


Like a Water-Buffalo(2)  御喜美江
英雄達 カラワン(2)     A-DOON
音と音楽(7)ONE       三橋圭介
書きかけのノート(3)     高橋悠治


Like a Water-Buffalo(2)  御喜美江


私たちの住んでいるラントグラ-フという小さな町はオランダの南部リンブルク州にあって平らなオランダ風景の中では唯一の丘陵地帯。オランダ人にとってはこれでも山岳地帯、ゆるやかな丘の上のレストランの名前が "アルペン" だったりする。

この辺は6月に入ると日がますます長くなるので自然と寝る時刻も遅くなる。朝は4時前から鳥たちのさえずりが大音響ではじまるので起きるのは結構早い。この季節が私は一年中で一番楽しいと思っている。とにかく一日がすごく長い。何事もゆっくり、時間に追われないで出来るような気がするから。

昨日の夕食は9時ごろ、シーフード、トマト、きゅうり、春雨、レタスで和風サラダを作り、鶏をから揚げして、あとは白い日本のごはん。でも食べ始めたら何か足りない。
「なんかいまひとつおいしくないわね〜」というと、
「そうかな。(so?)」とダンナは黙々と食べている。
冷凍庫からえびを出してきてパッと油で揚げケチャップ、白ワイン、Sambalで作ったいんちきチリソースに中にどばっといれてマッシュルームを加え、ねぎの千切りを最後にちらして出来上がり。こちらの気候は乾燥しているので食事のおかずも何か一品どろ〜っとしたものがないと口の中が乾いてうまく食事が喉をとおらないみたい。

もちろん赤か白はいつも飲んでいるけど、足りない水分をこれだけで補っていたら肝臓とお金が持たないから仕方ない。私たちは食事をいつもキッチンでする。狭いけど作りながら食べられるし手の届くところに食べ物、飲み物があるのでらく。3人くらいお客様があってもキッチンにしてしまう。広いところでゆうゆうと静かに食べるより狭っ苦しいところでテーブルクロス、床など汚すこと全然考えないで賑やかに食べる方がずっと楽しい。近所の猫たちも自由に出入りするので下の方では猫たちもごはん食べたりしている。

このキッチンではテレビとビデオが見れて、料理中わたしはいつも日本のビデオをながしている。なんでもいい、「寅さん」「大地の子」「ニュース」「たんぽぽ」「コマーシャル」日本語をきいているとお料理がたのしい。ドイツ、オランダに住むようになってから今年で29年になるが言葉のレベルはドイツ語と日本語と同じくらい。だけど時々何語を話しているのかわからなくなることがある。聞くのも同じでえっと今の何語だったかな、とよく思う。でもテレビから流れてくるのは日本語のほうがず〜っと好き。ドイツ語が聞こえてくると、パンとチーズと赤ワインでいいや、と主婦は怠惰になってしまう。温かい料理と日本語はよく合うと思う。

ところで早足で散歩するのは心臓にいいとダンナが医者に言われたことを時々実行するので昨日も夕食後 町の中心まで2人で往復した。時刻は11時だったけれど空にはまだブルーが残っていて星が2、3個見えた。猫たちも食後の散歩をしているらしく2匹にあった。この辺の猫って出会うと犬のように喜んでピョンピョン跳ねたり一緒にくっついてきたりするのでほんとうにかわいい。

『水牛のように』を演奏する時、わたしは必ずその詩を朗読する。ウェンディー・プサードの詩で高橋悠治さんの日本語訳とそれを私がドイツ語に訳したのもの、どちらかを朗読する。それから弾き始める。そういう曲は私のレパートリーで『水牛のように』だけ。16年も演奏しているから詩も曲も暗譜しているけどテキストはいつも手元にあって舞台でもいつも一緒。この詩を朗読していると不思議と体が落ち着いてきて呼吸も自然になってくる。ただ一箇所だけ危険ゾーンがあってそれを乗り越えるのが時々難しい。それは:
「あいのことばがさしだすてがとどかなくとも うたはのこる」というところ。
ここで私はいつも胸がいっぱいになってしまう。ドイツ語だと
"Wenn die Hand der Liebe Dich nicht erreicht, "
この部分、ほんとうにぐっときてしまう。

私だけかと思ったらあるドイツ人の男の学生が「この詩はほんとうに好きだけれど一箇所だけ朗読が難しい。ここにくると胸が一杯になってしゃべれなくなってしまう……」と。彼の場合も同じところだった。

昨年、訳が改訂されてそこは
「さしのべる 手もむなしく 歌だけが のこされる」となった。
変化があるかな、と思ったけどやっぱりここでは声がつまってしまう。ここをなんとか無事とおりすぎると でもすごく静かな気持ちになる。Like a Water-Buffalo の詩はほんとうに美しいと思う。オリジナルの英語もいいけどわたしは悠治さんの日本語訳のほうにもっともっとポエジーを感じる。

ここラントグラーフ(オランダ)の位置は北緯52度だからカムチャッカ半島の南部、サハリンの中部くらいになる。そのわりに寒くはないが冬は暗くて灰色、夏はいつまでも明るい。明るくても夜の空の色は昼とはちがった青色、Like a Water-Buffaloの詩を朗読したあとに残る静かな空間にちょっと似ているかな、と昨日おもった。

(2001年6月15日 オランダ・ラントグラーフにて)


[おせっかいな?編集部から]
御喜美江さんの演奏する「水牛のように」を聴きたいというメールをいただいたので、
現在入手できるものをお知らせします。

●Into the Depth of Time(BIS-CD-929)
 ヴィオラの今井信子さんとのデュオ
 (高橋悠治「白鳥が池をすてるように」 「谷間へおりていく」も収録)
●Sonorities:Japanese Accordion Music(BIS-CD-1144)
「水牛のように」は詩の朗読入り。

国内ではキング・インターナショナルから発売されています。



英雄達 カラワン(2)  A-DOON

一昨年 初めて英雄達 カラワンと共演できて とても光栄だった 江古田のBuddy でカラワンの演奏会があった Buddyというのは ジャズのライヴハウスで けっこう有名なところだ 開演時間は19.00時だった 17.00時ごろに店に行った

ヴァンからタイ人らしき人物が降りてきた 髪の毛がちょっと長い 肌はちょっと黒い タイ人のような日本人のようなミュージシャンのような 普通な人のような服装をしていた 片手にギターを持って 機材を降ろしているようだった あ カラワンのメンバーだ と思った 手を合わせて「サワッディーカラッブ」と挨拶した その人物も手を合わせてニコニコして 挨拶し返してくれた 暖かみあふれる人格で  A-DOON より七倍くらい タイ人の顔をしている人物は あとでわかった 実は 豊田勇造さんだった 知った時に 非常に嬉しかった う〜 さすが とても感じのいい人だ 

店に入った 関係者達に挨拶をして すぐ 演奏の準備をしはじめた そこで 気が付いた カラワン達がいない まさかまだ来てないじゃないよなと思って 関係者に聞いたら 皆 ラーメンを食いに行っているそうだ ほ〜 余裕だなと感心した しばらく経って 英雄達が帰って来た 挨拶を終えて 音の確認をした

あっという間に時間が過ぎた お客さんが入りはじめた 知っている顔もけっこういた A-DOON は前座で一番に出演しなければならないから 今までない緊張が浮かんで来た 何しろ 大先輩達の前で一人で演奏しなければならないわけだから 緊張じゃなければ生きる人間じゃない 豊田勇造さんも 後に出演するから 同じ控え室にいた ギターの音合わせや太鼓の人と打ち合わせなどをしていた

カラワン達は客席の一番後ろに座っている 宴会は既に始まっている 舞台から あの光景に気が付いたときに 緊張が増した 演奏が始まった 二曲演奏した 「だれ」 と 「囚人」 だった お客さんの反応はよかった 演奏が無事に終わって ほっとした

舞台から降りたときには 頭の中はほとんど真っ白だった 思わず 豊田さんに同情を求めた 「大丈夫ですかね」 「大丈夫だよ よかったよ」 と 励んでくださった 楽器をしまって 客席の一番後ろに立って 豊田さんとカラワンの演奏を楽しみに待っていた

A-D00Nのホームページにもどうぞ



音と音楽(7)ONE  三橋圭介

 ジョン・ケージに「One」(1987)というピアノ曲(曲名は演奏者の人数をあらわしている)がある。用意するのはストップウォッチか時計。2枚のちいさな楽譜にはicと呼ばれる易のコンピューター・プログラムから得た2組みセットの音符の断片 が10組み、セットのそれぞれには強弱をもつ3個から5個の音、和音が置かれる。演奏者はただその音を楽譜通り 弾くのではない。断片のそれぞれには下のようなTime Bracket(時間の括弧)と呼ばれる時間の枠が設けられている。

          Time Bracket
        A         B
 断片1: 0'00"←→0'45"  0'30"←→1'15"
 断片2: 1'00"←→1'45"  1'30"←→2'15"
 断片3: 2'00"←→2'45"  2'30"←→3'15"
 断片4: 3'00"←→3'45"  3'30"←→4'15"
 断片5: 4'00"←→4'45"  4'30"←→5'15"
 断片6: 5'00"←→5'45"  5'30"←→6'15"
 断片7: 6'00"←→6'45"  6'30"←→7'15"
 断片8: 7'00"←→7'45"  7'30"←→8'15"
 断片9: 8'15"    ←→     8'45"
 断片10: 8'45"←→9'30"  9'30"←→10'00"

 2つのTime BracketはAが断片をはじめる時間の枠、Bが断片をおわる時間の枠をあらわす。10の断片のなかで断片9は唯一ひとつのTime Bracketの時間の内にあるが、それ以外はA、B2つのTime Bracketが重なりあって環のように連なる。演奏者は各セット間の音の関係を自由に変えながら、重なりあうTime Bracketのなかでセットの断片を打つ。

 たとえば、断片1はAの時間(0'00"←→0'45")のどこからでもはじめられ、Bの時間(0'30"←→1'15")のどこでもおわることができる。ただ0'45"にはじめて0'30"におわることはできない。15秒間の重なりは不可能な時間を用意するが、断片1のBの時間(0'30"←→1'15")が断片2のA(1'00"←→1'45")と15秒間重なり連なることで時間の枠にありながら、時間の枠を越えることができる。不自由があるからこそそれを越えていく自由がある。

 「ONE」は打たれる音だけが音楽ではない。ストップウォッチ を押した0'00"から音楽はじまり、10'00"に終わる。螺旋状に旋回していく多層的な時間の環のなかで音を打つことは、はじまりがあっておわりがあるヨーロッパの音楽とは決定的に異なっている。ヨーロッパ音楽は互いに関連しあう音の連続を操作しながら時間をつくり、終結にむかう。向かうには意志や目的、方法がある。「ONE」は作曲者の観念によって音を構成するのではなく、偶然によって選ばれた音のかけらを時間の環の連なりのなかで空間に解き放つことでしかない。

 あらゆる存在は移ろいにあり、それを変化と同一性とするなら、時間と存在を区別することはできない。二つを融合した一に意味や目的はなく、ただ「いま、ここ」の現実しかない。この意味で、Time Bracket は打つことの「いま、ここ」を体験するための二重の時間の窓となっている。窓は鎖に繋がれて明確なかたちをもつことはなく、つねに結びついて移ろい揺れ動いていく。

 ケージ自身のことばに従えばこの時間の窓は「時間を自在に扱う」ための問いであり、答えはない。もちろんその背後にはケージが受けた禅の影響がある。

 禅の認識では「あれか、これか」の二項対立的な思考を非ずと棄却される。理論の破綻は「即非の論理」と呼ばれるもので、たとえばこんな公案がある。

 ある修行僧がいう「いっさいを捨て尽くしてなにももっていません。わたしはどうしたらいいでしょう」。和尚がいう。「捨ててしまえ」。すると僧は「捨てるといっても、もう何も捨てるものがありません」。和尚はこういい放った。「その捨てるべき何もないという考えを捨ててしまえ」と。

 「いっさいを捨て尽くしてなにももっていません」とは「捨てる」と「捨てない」の二項対立の一方であり、その認識の枠のなかに留まる。「その捨てるべき何もないという考えを捨ててしまえ」とは認識の枠組みそのものを捨てさること。

 しかし二項対立を消し去ることはできない。二項対立とは論理的思考であり、思考をすててしまえば世界にたいする視点すら失ってしまう。禅は消し去るのではなく、その認識の上にたって突き抜ける。突き抜けるとは二項対立の「あれか、これか」ではなく、「あれでもなく、これでもない」という中間項を導きだすことにある。

 ケージは生涯のなかで禅の認識についてさまざまに語り、書いた。当然、そのことばは二項対立の内にある。しかし音楽という行為がそれを突き抜ける。言い換えるなら、音楽は言語や認識と不可分に結びつきながら、音楽する行為だけが語り得ないものを語ることができる。この意味で時間の窓にもとづく「One」は、先にも述べたような時間の扱いから、打つという行為を際だたせる。それはある決定的な時間ではなく(Time BracketAでもTime BracketBでもない)、その重なって連なる時間の環のなかで、偶然によって選ばれた音のかけらを打つことで時間の二項対立を突き崩していく。

 だが行為といっても打つことだけが行為ではない。「4'33"」はコンサート・ホールにピアニストが登場し、ピアノの蓋を閉じて4'33"の間じっとしている有名な作品だが、ここにいわゆる打つという行為は存在しない。しかし僧侶がただ座りつづける座禅をコンサートホールで行っているのが、「4'33"」と考えれば、その行為を説明することはできる。

 座禅には目的がない。ないというよりは目的を捨て去るためにただ座りつづける。まず身体を整え、呼吸を整え、心を整える。それは日常を完全な静止の状態におきながら、その状態を維持する身体は存在している。身体があってはじめて座禅を行うことができる。そして身体は自然があってはじめて存在すると言い換えることもできる。つまり座禅は身体の発見であると同時に自然という世界の発見に通じている。

 おなじようにピアニストもただ座りつづけるだろう。かれの日常的な仕事、つまり作品を解釈しながらピアノを弾くという目的(自己表現、利益、名誉など)をすて、ただ4'33"の間座りつづける行為によって自然を発見する。当然、西洋的な音楽をきこうとしている人には何もきこえないし、それを音楽と呼ぶことすら異議を唱えるだろう。だがその空間にはざわめきや自然の音などさまざまな音にとりまかれていることをしる。このとき「4'33"」はコンサートホールという非日常的な空間のなかで純粋な日常をきく体験となる。

 座禅が禅の究極の形態とするなら「4'33"」は究極の音楽だろう。だが「ONE」は禅でいえば典座のようなものにたとえられるかもしれない。

 典座とは食事の支度をすることで、道元の「典座教訓」に書かれているように禅修行では作務(さむ)と呼ばれる日常の行為である。食事の支度は日常を維持させることであるが、どんな目的ももたず、ただ作法にしたがって支度する。この目的をもたない労働のための労働は日々の生活のあいまいな細部、すなわち身体-自然を意識することにあり、それは「いま、ここ」を生き抜く行為となる。

 ピアニストにとってピアノを弾くことが日常の行為だろう。だがここでは打つ意味も目的も捨て去らなければいけない。ピアノという楽器、そしてそれをまなんだピアニストには歴史的、経験的な記憶が刻まれている。ピアニストはまず自己表現や解釈、音の関係付け、歴史的な音の記憶など、いわゆる「音楽的」な影を寄せ付けないようにピアノを打つことを考えるだろう。だがそのように考えて打つことはすでに、一方でない一方という二項対立の罠にはまっている。あの和尚ならいうだろう。「目的なく打つことを捨てろ」と。

 「目的なく打つことを捨てる」とはただ打つ行為のプロセスに身を任せることで、「いま、ここ」という純粋な日常を生きることにある。そのためには自分を取り巻く世界のざわめく声に耳を開き、そのなかに音を解き放つしかない。その行為が音を振動という具体的なものに帰して、音は世界の一部となる。沈黙によって縁取られた音のかけらは偶然に出会って、漂い移ろっていく。

 「ONE」とは語り得ないものを語るための行為であり、ケージはその混沌とした音を理想的な世界のアナロジーとして見ていた。ケージの師、鈴木大拙は書いている。「普通の論理では分別だけを見て、無分別を見ない。悟りでは無分別を見る。そしてその無分別のうちに分別を容れる。分別が無分別にならずして、一となる」。





書きかけのノート(3)  高橋悠治

この世界の明るさ、それはどうしてあるのだろう。科学者達は私達の周囲にあるものを、説明していた。気体を、流れるもの、固いものを。光り、輝き、燃えるもの。水が細かな粒になって漂う美しい雲や霧。漂う雲が冷え凍り、空から湧いて家々を、犬を蔽(おお)うあの雪を。漂う雲が光る水の針となって川の面を無数の点で蔽い、小鳥の羽を濡らすあの雨を。砂の中に光る黄金(きん)の粉、土の中にある昔の町、ふしぎな生物の骨。小さな褐色(かちいろ)の種から生まれる花々、緑の樹々。空気の中に飛び立ち、匂いを立てる花粉を。暗い海の中に動く冷たい魚、埃及(エジプト)の奴隷(どれい)の動かす扇のように、ゆっくりと揺れる青い、紅い、海の植物を。海の底の砂地を匍い、死ねば海辺に殻をさらして詩人の耳に、昔の海の響きを聴かせるあの貝達を。そうして壊滅。生々と輝いていた花々、美しい微笑を浮かべていた顔の組織の崩壊を……。
宇宙の間にあるもの、宇宙の間で起きることのすべてを学者は、説明していた。だが壊滅を説く学者自身がやがて老い朽ち、灰色の骨が肘の中に鳴り、膝(ひざ)の中で乾いた音を立て、黄ばんだ皮膚が細かな襞(ひだ)を寄せる時、白髪がさわぎ立つ額の下の光を失った瞳は、いつの間にか書物から離れ、窓の明かりに向けられていた。瞳は洞ろに開いて無意識の内に光りを求めて、いた。
光。この世界の光はどうして、あるのだろう。あの温かな晴れ晴れとした太陽は何時から、輝いていたのだろう。黄色い月は? 青い、白い、星達は? そうして足の下の土。空気。それらはいつから、あるのだろう。空間と地球、光る天体、それは何時からかあり、そうして永遠にあるもののように、見えていた。空と土と明るさ、この永遠の世界には時間は、無かった。
そこでは時刻(とき)はふわふわと飛び歩きそこ此処に舞い、美しい蝶のように、戯れていた。永遠の中を飛ぶ時刻(じこく)の蝶は疲れなかった。薄い翅(はね)で、気泡のように軽く舞い戯れて、いた。一瞬の間に飛び去って既(も)う還らない「時刻(とき)」、それは人間の思考の間にだけ、あった。人間は明るさに憧(あこが)れて生れ、いくらかの間明かりの中にいて直ぐに又、永遠の闇に閉ざされるもので、あった。生まれる時も死が近づいた時も、人間は明るさを求めていた。心の中の光も胸の中の希望も、この世界の明るさの中でだけ人間の心に、生まれていた。明るい光の中で人々は夢を見、或は現実の「影」を、把握した。闇は死の「時刻(とき)」で、あった。闇の美しさは光の世界が再び来ることが信ぜられているからの事で、あった。眼の見えない人々もこの世の光を信じている時、その闇は底のない闇ではない。闇は永遠にある時それは絶望でしか、なかった。(森 茉莉「夢」)

時間は、人間の思いのなかにしかない。だが、過去は。

夢で会ったものがめざめた人間には見つからないように、
したしいひとびとも逝ったあとでは見つからない。(サンユッタ・ニカーヤ807)

すぐそばにいたはずのひとのかたちが、もうない。あのひとたちは、どこへいったのか。そのひとたちとすごした時間は、どこにも存在していない。その時間は、一度も存在したことがなかったと言えるだろうか。それだけではなく、いま、こうしている自分が、やがていなくなり、このいまという時間もどこかへいってしまい、じつは存在してなかった、と知る、そんな時は、まだ存在していない。時間が人間の思いのなかにしかないなら、その時間にいたひとも、いまこれを書いている自分も、思いのなかにあるだけだ。過去が夢と知る、そのように、現在も夢にすぎないのだと、どこかで知りながら、それでも、自分がうごかしがたいものとして、たしかに存在しているかのようにふるまっている、これはなんだろう。

森茉莉とよばれたひとは、たしかにそこに、いた。バスの駐車場の脇にぽつんと取り残された建物の二階の扉をあけると、つけっぱなしのテレビがベッドの上にある、薄暗い部屋。紙屑が、そのベッドも床も一面に覆っている、廃墟のなかに閉じこもって、テレビに映る無意味な映像を追いながら、書きつづけている、書く端から紙は床に落ち、その堆積が部屋の、まだ残っている空間を埋めていく。
だが、これは現実に起こったことではない、こうして書きながら、森茉莉に会ったときのことを思いだそうとすると、書く文字がひとりでにつくりあげる光景で、それはこの通り存在したこともなく、と言って存在していなかったというわけでもなく、意識のなかの痕跡となって書く文字をすすめていきながら、その文字が同時に、過去をつくっていく。

ここに書き抜いた文章、それは森茉莉が書く生活をはじめるきっかけになったものだった。部屋の外にある敗戦後の生活、それを書くうちにいつか、書かれた生活はたしかな手触りをうしない、夢のようなものに変わっていった。それとともに、現在という時間の閾が崩れ、そのすきまから過去がかってに出入りして、書く人をこの世のどこでもない場所につれていき、だれでもないものに変えていった。外部からの侵入者が見た廃墟の部屋に住む老女は、この世という夢に目の眩んだ人間に見えた、幻影にすぎなかった。森茉莉という名をあたえられた身体はみかけのもので、その部屋も仮象にすぎなかった。それらのみかけにまもられて、書きつづける手と意識だけが、ひそかに作動していた。

書かれた文字は、書く手がそこから離れるにつれて、過去のものになっていく。紙の上の痕跡から読みとれるもの、それはそこに書かれたものとはちがうとは言えないが、おなじであるとも言えない。書きすすめる手は、書く動作そのものによって、どこからかささやきかけてくる、だれのものでもない声を聴く。書かれることばは、書くことによって、つかわれた意味の蔭にあるちいさなすきまから、まだつかわれたことのないものごとのつながりをひらいて、みせる。書きながら、書き手はこの世から立ち去っていく。

三十数年前に書いた「夢」の一節を朗読してもらいたい、という侵入者の要求をはぐらかそうとして、そのひとは、読んだばかりの推理小説の筋を説明しはじめた。それでも相手がひきさがらないので、しかたなく、これはわたしの書いたいちばんいい文章の、いちばんいいところなの、と言いながら、読みあげた声は、あらかじめ仕掛けられた意味を表現しようとする翳りなどどこにもない、はじめて文字をよむ少女のように、まっすぐな声だった。それでも、「舞い戯れて、いた」のように、形容から句点で切り離され、存在そのものとなった「いた」は、その声のなかに手つかずで、あった。それが、この世ならぬ美を、蝶のようにひたすら追い求めていたかに見えたそのひとの知っていた、生の冷酷さだった。

雨の音、バスのエンジンをふかす音がかすかにまじった、録音されたその声を聴くと、声はこうしてくりかえし聴けるのに、その声で読んだひとはもう、いない、その部屋も、建物ももう、存在していない、だが、その時、それらはたしかに存在していた、と言えるのだろうか、というふしぎな思いにとらわれる。その時でさえ、なにかあいまいなものが、そこにはあった。存在していたとも言い切れず、と言って、存在していなかったとも言えない、漂うその声、影のようなそのひとの姿、水たまりのなかの泡のようなあの部屋、葦の茎のように中空の、あの建物。

(これまでに書いたテキスト、スケジュールなどは、「楽」にあります)



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