水牛のように

2001年10月 目次


シ(ー)ディ(ー)カ               藤井貞和
香る月はそのまま私                片岡義男
9月のためいき                  御喜美江
ゲオルグ・フリードリヒ・シェンクのベートーヴェン 三橋圭介
「カタってキいて」第1回 レポート        三橋圭介
書きかけのノート(6)              高橋悠治
『パンダ来るな』に寄せて                 
水牛だより番外                     


シ(ー)ディ(ー)カ  藤井貞和


国境近い カシュガル(喀什)から、もどって来た ひとたちのはなしによると、パキスタンへ行けなくなった アメリカ人の旅行団体が、パニックを起こしてか、ホテルに居座って、たいへんだったらしい。 パキスタン街道は一筋しかない、という。 私はウルムチ(烏魯木斉)から、あまりはなれずに、カザフ、ウイグル民族の、観光的な 村を訪れて、帰ってきた。 30分で解体できる、という パオ。 茶色い ひつじ。 私としては新疆ならではの緑柱石や紅玉、水晶などを手にいれて、いつものように、足取り重たい 帰国。 帰途の飛行機のなかで、ラディン中国入り、というような ニュース。 中国政府はそれを必死に否定。 それはそれとして、中国政府がなんとなく、にんまりしている 感じがある、というか、アメリカの意図をアジア囲い込みと見ているらしくて、出番をさぐっている 感じ。 日本社会では、報道が、戦争をまるで煽り立てている みたいで、論調も何もない はずかしさ。 ゲロのでそうな テレビの報道。 いっぱい解説者が出てきて、きもわるい。

日本一般民衆は、何となく反米的で、クール。 それもおかしいな、と思う。 報道と一般民衆とが乖離している のは、いつものこと。 でも、一般民衆が反米的な だけでは、困った。 報道や日本政府は一応、西がわというか、アメリカに就こう、という つもりか、今回は自衛隊の後方支援だという。 戦争ごっこを、これでは日本社会のガスぬきにならない。 予想される 500万人のアフガン難民と飢餓。

日本社会の、米欧への面従腹背がよく出ていて、アジアだなあと思える。 無論、面従腹背でよい。 というより、国体じゃないけれど、「国是」として非戦が前提だった。 はっきりブッシュに言ってやったら。 ブッシュのやっている ことは、アメリカのガス抜きとなってはたらくかもしれない。 国内の、報復意志を高めて、統一させ、士気を高揚させ、臨戦状態へもってゆく。 とにかく腰抜け大統領といわれる のがいちばんつらいだろうから。 もし戦争だ、とみとめるなら、負ける ことだってあるんだぜ、とブッシュに言わなければならない。 国家の合法的テロが戦争だ、という のはその通りだ。 ただし、冷戦だって、戦争な のだから、戦争かどうかの論議は意味があまりない みたい。 現実の戦闘状態を回避する、という のが、いまにアメリカで、高まる 反戦ムードでしょう。 反テロは、報復にむすびつかない、という アメリカは少数でも平和型の、報復反対キャンペーンが起こる はずで、それは現実的にちからを持つといちばんよいけれど、たとい無力でも思想的にはキャスティングボードに参与する 可能性がある。 9月11日、当日、ニューヨークから、早くも戦争抵抗者連盟は声明を出してる、しかも的確に。

しごとにもどろう、日常のアメリカの誇りを取りもどそう、という ニューヨーク市長の言い方は、国内の報復感情を煽り立てる ことと、ある意味で正反対だけれど、同じ 盾の両面だろう。 ガス抜きしながら、名誉ある 回避 の可能性はある。 その狭い ところへむけて、日本ジャーナリズムや政府すじはちゃんといわなければならないのに。 アメリカ追随も、反米も、庶民感情でしかなくて、そのさきが見えないという ところがまさに庶民らしさだけれど、必要な ことはいま、そのさきだろう。 くりかえすと、アメリカ追随も、反米も、いま超えてゆける のでなければ。

テロに勝てる 戦争はない。 アフガニスタンに、世界の眼が集まっている のは、陽動とみるか、本当の《戦闘》は《本土決戦》だと、ブッシュはわかってる はず。 本土決戦なんてやった ことがない アメリカニスタンとして、ここはやめた ほうがよい。 だって、ニューヨークはもっとやられるし、スリーマイル原発だってまもれるか。 サリンをどこに撒かれるか、分からないし、ついでに日本の都庁ビルも、突っ込むね。 ついででしかない ところがあわれをきわめる。 これで報復核でもやったら、テロに口実ができて、『湾岸戦争論』の著者(藤井)としては、湾岸からアフガン(阿富汗と書く)へ、なんてしゃれにならないわ。 戦闘行為そのものをやめさせないと、という 思い。 大統領はアフガニスタンやっちゃうかも。 おさまらない 気持ちの癒しのために、ある程度やるとしても。 地上戦なら、高山病で、まずばたばた、と中国での新聞にある。 即死はよい ほうで、即死でない ばあいは解体してしまうと、対ソ連戦闘のときみたいに、士気さかんかもしれないけれど、タリバン(神の子?)はいま、必死だから、と、やはり中国の新聞にあった。 ラディン(拉登と書く)が国外へ、たとえば中国へ出れば、アフガニスタンをやる 理由がなくなって、もしやったらテロがわにますます口実を与えよう。 なるほど、猫は見かけなかったよ。 かれらがつきあう のは、羊であり、ロバであり、らくだであり、そして馬。 ラディンは500人の「勇士」とともに、騎馬でアフガニスタンを出た、という ニュースもあった。 21世紀の騎馬民族。 ブッシュ自身が言ってる、まだ世界史として見る ことができない、と。 そのとおりだろう。 現代史のよい 勉強な のに、と思う。 パンダはたたかうか。 星の王子さまも、室生犀星も、紫式部も、そして自由の女神も、みんなでたたかえますか。   

(すくなびこな発)



香る月はそのまま私  片岡義男


月がもし香りを持っているなら
それはどのような香りなのか
完璧な満月のときと
もっとも細い三日月のときとでは
香りはまったく異なっているはずだ。


自分が月の光のなかにあるとき
自分の香りは月光とひとつに溶けあい
月の香りそのものであってほしい
と彼女は願う。


手のなかに月を持つのが好きだ
夜空に月があると
小さな手鏡にその月を映し
鏡に顔をちかづけ
手のなかの月を彼女は
飽きることなく観察する。


彼女がずっと以前から思っていること
月の光とおなじ光を出す照明器具はないか
そのような照明器具があれば
自分の部屋は意のままに
月の光で満ちるのに。

『yours―ユアーズ―』(角川文庫 1991年)より




9月のためいき  御喜美江

アメリカであの恐ろしい同時多発テロが起こった9月11日、その日の朝、私達夫婦は買い物のためにアーヘンに行っていた。日本帰国を前に母に頼まれた膝痛に効く塗り薬、水に溶かして服用するアスピリン、花とか動物のモチーフのシール、その他お土産をいろいろ買物。今年は森のきいちごが沢山とれたのでそのジャム「みえの作ったきいちごのジャム2001・夏」を入れるかわいいグラスも。(ちなみにこのジャムはおいしいのです。原料となるきいちごがおいしいということがまず何よりも大切なんだけれど、そこにレモン汁とレモンの皮をけっこう沢山いれてぐつぐつ煮る、最後にウィスキーを少し入れる、するときいちご達がジュジュジュ!というの、この[音]大好き。ウィスキーは余りくせがなくさっぱりした感じのもの、例えば Glen Grant なんかがいいみたい。いつかこのジャムを水牛のHPで通信販売できることをちょっと夢みてます。「きいちごのジャム」をクリックするとジュジュジュ!ってサウンドする……かな。)さて12時半に81才のダンナのお母さんと待ち合わせてお昼ごはんを一緒にして郵便局で銀行で用事を済ませ、東京の母にかわいい薄緑色の帽子を買って本当はもう少し街で遊んでいたかったけど10月1日に初演するまだ演奏が未完成の3つの新曲が頭によぎったので「帰えろっか?」ということになった。駐車場に向かって歩いていたら救急車が何台も何台も目の前を通り過ぎ輸血車まできてどうも近くのどこかで大きな事故が起こったようだった。車に乗ってからすぐラジオ・アーヘンをつけた。そうしたら「ニューヨークのワールドトレードセンターに飛行機が激突したらしい、それもジャンボ機でこれはテロの可能性がありそうだ……」と。帰宅してすぐテレビをつけたらものすごい映像が出てきた。世界貿易センターの2つのビルが黒い煙をはいている。一体何が起きたんだろう……それからさらに信じられない恐ろしいことが次々起こる……テレビに釘付けになってしまった。この時ニューヨークで起きていることはテレビを通して見ると、ニュースだか映画だか定かではないほど非現実的なピクチャーだった。しかし世界貿易センターの窓が大写しになって窓にしがみついていて救助を求める人々を見たとき、そして一人二人と下へと飛び降りる人達を見たとき、それがたとえようのない恐ろしさで迫ってきて、私はそれ以上映像を追うことができなかった。

世界貿易センターは超近代建築で数年前その最上階で食事をしたとき、あっというまにエレベーターが最上階に着いていて、その速さに皆驚いていた。下を見るとヘリコプターがまるでとんぼのように小さく下を飛んでいて、Wall ストリートを歩く人間はまさに Lego プラモデルのそれのようだった。これだけの技術が可能な今日で煙りと火が迫ってきたとき逃げる方法が窓から飛び降りる以外なかった、ということがものすごいショックだった。

ジャンボ機が乗っ取られてそれが高層ビルに突っ込む、なんてことは誰も想像もしなかっただろう、でも大火災は考えられること。風が強いこの当たりのビル外側の非常口はせいぜい10階位までが限界かもしれないけど、そこで働く人達のために、一人一つのパラシュートが用意されていたら下へ飛び降りても怪我程度で済んだかもしれない。屋上に少なくとも10機のヘリコプターが常時待機していたら上へ向かって逃避することも可能だったのではないか……。こんなすごい建築物を作ることができるエンジニア達にとってこの程度の技術を考案し実施することなんてまさに朝飯前だろう。でもあの時ビル内にいた人々はせまいせまい階段を真っ暗な中、恐怖と不安に脅えながら気が遠くなるほどゆっくりのテンポで降りていくことしか生きのびる方法はなかった。その苦しさと悲しさはブッシュ大統領が息まく演説とは何と程遠い世界のことだろうと思う。兄が担任をする教え子の父親は富士銀行勤務で部下をとにかく必死で逃避させてたという。そして帰らぬ人となってしまった。

私には政治のこと、詳しくはわからないけれど今回の大惨事によってアメリカと西ヨーロッパ諸国が「団結」して相手すら定かではない人達を「敵」とし、軍事力による復讐を計画したならば、それこそまさに彼ら(タリバン?)の計画どおりの成り行きではないだろうか。9月11日に宣戦布告した相手の思うつぼ……彼らの敷いたレールの上をその内容、時間とも予定どおり歩いているのでは……それがブッシュ大統領のここ2週間の同時多発テロに対する反応ではないだろうかと心配になる。近代建築のもろさ、復讐のはかなさを痛感すると同時に、人に悲劇に乗っ取って戦争政治を正当化する政治家の演説は聞いているだけで胸が苦しくなってくる。

話は前後して再び11日に戻るが、その日の買い物は袋に入ったまま居間に置かれてあった。夜になって片づけようと2階に持っていって開けてみた。数時間前ルンルン気分で選んだ品物が次々と出てきた。しかしもう「こんなもの……」とためいきしか出なかった。

13日にブリュッセルを発ち14日羽田に着いた。
その日の夜は私が17才のときから今日までず〜っとお世話になった萩元晴彦さんの告別式だった。14年前から「僕の葬式のときに弾いてね。」と頼まれていたグリーグの[郷愁]を弾いた。今井信子さんとバッハのコラール[わが心の切なる願い]も弾いた。「音楽葬に間に合ってよかった」とは思ったけど、なんだかひどくがっくりきてしまった。年に一度しか会わないかくらいだったけれど、いつも私の話をそれは面白そうに、にこにこしながら聞いてくださる方だった。人が死ぬのは本当にイヤだな、と思った。

15日は私の誕生日だった。家族が祝ってくれて、でもここでもためいきが何度もでた。

22日は結婚20周年記念日だった。この日はあんまりためいきつかないようにと、心がけた。でも夜、赤ワインを飲み過ぎて今度はあくびばっかりしていた。

今月うれしかったことは、ダンナのベートーヴェンのCDがやっと発売されていろいろな雑誌で大変誉められたことかな。

最後に、この3週間をふりかえってみると思い出すところ、いつもためいきをついていたように思う、とここで 再びためいき……

2001年9月27日 東京にて



ゲオルグ・フリードリヒ・シェンクのベートーヴェン  三橋圭介

御喜美江さんのご主人、ゲオルク・フリードリヒ・シェンクさんのベートーヴェンのCDが発売されました。いろいろな雑誌で絶賛されていますので、是非きいてほしいと思っています。以下はCDのために書いたエッセイ(改訂版)です。

前にゲオルグ・フリードリヒ・シェンクはわたしにベートーヴェンの音楽について教えてくれた。ひとつのフレーズが全体のなかでいかに関係しているか、響きやテンポ、アーティキュレーションがいかに相互に浸透し音のドラマをつくりだすか、また和音の打鍵をわずかにズラすことによっていかに音色や響きをつくるか。これらのことがベートーヴェンのピアノ音楽を構成する上でいかに重要か、シェンクは時にピアノの実演をまじえて、まるで湧きでる泉のように語る。

その情熱に裏打ちされた理論的な背景を考えるなら、シェンクの知的な探求心にドイツ人であるかれの徹底した合理精神を見ることもできる。だがシェンクにとってベートーヴェンとはなによりかれの「前に聳える巨大な山」であり、そこに足を踏み入れることはベートーヴェンという西洋音楽の築いた伝統の根を掘り下げ、新たなる鉱脈を見つけだすことである。そのにじみでるような暖かい人柄とは対照的に、シェンクの音楽はとても厳しい眼差しと意志に貫かれている。

ここでかれは最晩年のソナタさえ予感させる小曲の凝縮されミクロコスモスと、長大な「ハンマークラヴィーア」のマクロコスモスに深い関係と対比を与えることで、精神の跳躍のプロセスという音楽の本質に向かっている。ひとつの解釈に基づく声がさらなる声を呼ぶ。その積み重ねがシェンクのベートーヴェンを独自のものへと高めている。その切実な「呼びかけ」は聴くものに揺さぶりをかけ、これまでとは異なる音の風景へと連れ去っていく。

感情の大きな波がうねり、光と影が交錯する第3ソナタ。「ハンマークラヴィーア」ではまるでビデオのズーム効果のようにパースペクティブを変えながら駆けめぐる風に乗る鳥となって羽ばたく。そして「エコセーズ」はショパンのマズルカのように民族的なリズム強調することで、はじめて本来あるべきリズムの躍動が再現されている。

シェンクのベートーヴェンはけっして奇をてらった斬新な解釈ではない。微妙に変化するバランスを量りながら、音を揺り動かしつづけることで、楽譜という記号を越えた生の音楽が立ちあらわれる。「いま・ここ」を生きるベートーヴェンの真摯な声は、妥協を許さないシェンクの赤裸々な声にほかならない。

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CD情報
ゲオルク・フリードリヒ・シェンク
「ベートーヴェン・ピアノソナタ集1 ハンマークラヴィーア」
発売元サウンドステージ ACCD-S119 2,500円



「カタってキいて」第1回 レポート  三橋圭介

藤井貞和さん、新井高子さん、松井茂さんの3人の同人による「ミて」の「カタってキいて」第1回は、水牛CD第2段藤井貞和自作詩朗読『パンダ来るな』の刊行記念を兼ねた催しが行われました。第1部は三人がそれぞれの自作詩の朗読「カタって」、第2部は自由詩について3人の討論(水牛の八巻美恵、わたしも加わった)。

第1部はまず松井さんの朗読。「Civilizationscape」と自作詩の朗読二つに加えて音楽と踊りを伴う「81」。このパフォーマンスはパソコンのちいさなスピーカーから流れるサイン波によるほとんど展開のない音楽(作曲:クヲまたは鶴見幸代)に乗せて、踊り手(滝本あきと)が踊る。東西南北に貼られた詩には四時熟語のような「北・胸耳」と書かれた紙(「ヘンリー・パーセルの「Sweeter than roses」にもとづく母音列をアジア的に翻訳したもの」)が貼られ、踊り手が「四時熟語」の指示にしたがってある時は北の方角に向き、舌や耳をさわり文字を身体表現によって次々と表していく。詩人はというと、「朗読のための短歌的音響」(「日本の伝統詩形である「短歌」と上代の音韻を、大陸の文字で表記した作品」)より乙類部分6首の紙を床に並べる。並べおわるとヘルツの数を唱えている。淡々と過ぎる時間にただようユーモア。方法詩の同人でもある松井さんの実験は、漢字や大陸文字に変換された音韻詩を言葉=音からさらに変換させて別の次元へと送り込む。それは音楽、身体、言語を等しく対峙させることで、詩の新しい読みを提示すること。

一方、新井さんは松井さんの静かな時間とは対照的にとても感情を込めた朗読。空中を見つめ、思い入れたっぷりに自分自身をとかげに見立てた連作詩を次々と繰り出していく。詩を文字で読むよりも、朗読は新井さんの思いを伝えているが、それは他者への問いかけや叫びというより、自己告白に近いと感じられた。

トリは藤井さんの朗読。CDに収められた詩から数編。換気のない閉ざされ、息苦しい空間(換気があることに誰も気がつかなかったらしい)のせいか、息を切らせ、汗をたらし、ほとんど犬のような荒い呼吸で身体をふるわせながら詩を朗読していく(CDよりもずいぶん急ぎ足な感じ)。そんな不自由な空気のなか藤井さんの滴る汗と呼吸が自由詩の苦悩の声となって妙に生々しい。そんな辛い状況でも会場からは笑いがもれ、ユモアを忘れない藤井さんでありました。

第2部の「カタって」は自由詩の問題が討議された。西洋の音韻詩の「行を分けて書く仕方」(萩原朔太郎)のみによって日本語の詩が保証されている現在、自由詩の「自由」とは何か。「行を分けて書く仕方」については今日比較的一般化している。パソコンを使ってメールを書く多くの人は行を分ける。かれらは詩を書いている? そんなことはない。しかし行を分ける書き方は文体を変える。高橋悠治さんはかつて「ミて」の同人だったが、かれは詩を書いていたわけではなく、「行を分けて書く仕方」で詩的な文章を書いていた。かつて「あれは詩じゃない」と悠治さんは言いました。そうなるとあれを詩であると思っている人とそうじゃないという人の間で詩は引き裂かれる。本人が詩だと言えば詩かもしれない、行分け自由詩の「自由」はどこまでいっても際限がない。

詩人と呼ばれる人の「自由」はそれぞれの詩作によってさまざまな試みが提示されており、ここでは自由のなかに不自由を持ち込むことにふれた。母音のみによって成立している藤井さんの「母韻」、「一・二・三」の数だけで作った松井さんの詩など、ことばに一定の制限を与えることによって自由であろうとしている。音楽の場合も100個の音をつかった複雑な音楽の貧しさよりも、たった5つの音でできた音楽の豊かさというものがある(もちろん、その逆もあります)。朗読を前提として作られた「母韻」の豊かさは言葉をころがしていく遊びの展開と意味の跳躍にあり、不自由詩の自由を活きている。

 後半には藤井さんの朗読のはじまりから現在、そして「パンダ来るな」のできるまで、と話が及んで会はまとまりないまま終わりました。この後はちょっとした立食パーティー。CDもたくさん売れました。みなさんありがとう。



書きかけのノート(6)  高橋悠治

9月13日には深夜テレビの見過ぎでねむいあたまのまま飛行機にのり 21日までインドネシアですごした
熱帯の涼しい夜 そこでもホテルで毎夜 CNN を見る くりかえされ記号化した映像 崩壊するバベルの塔 反テロリズム十字軍最高司令官の拳 その前に直立不動でおぼえたての英語フレーズを復唱する日本人模範生 洞窟から歩み出る白衣の人 数字となった死者 損害にもめげない株式市場のヒロイズム

熱帯の時間はゆったりすぎていく

おなじ情報をくりかえし押しつけてくる報道も 世界を覆う暴力の一部だ
テロリズムということばで そこにいたるまでのプロセス その原因や条件をつくったものの責任をかくしてしまう
むかしベトナム戦争の頃アメリカでよく見かけたステッカー this is America love it or leave it がまだかたちを変えて生きている
こんどは 味方でないものは敵だ 武器援助か空爆か 食糧支援か経済制裁かえらべという二元論

これがわれわれにつきつけられている問題だ
それに向かいあい 戦争か平和か どちらかに態度を決めなければならない いま何ができるか考えよう という気にもなるが これこそ罠ではないのだろうか
あせり 怒り 不安 余裕のなさ 非常時だ レノンのイマジンは放送自粛と言う この態度 くそまじめな人間の 世界ときっちり向かい合い 理解することもなく 現象にとらわれて

かつてゴキブリ・オペラという作品の日本公演が予定されながらスハルトに出国を禁止されたテアトル・コマの俳優・劇作家・演出家であるナノ N Riantiarno にジャカルタで会う
テアトル・コマのこんどの出し物 鳥の大統領 Presiden burung-burungの上演の日までは滞在できなかったが これがナノの書いたそのシノプシス

いまはむかし ある国で歴史はくりかえす
混乱 暴動 権力闘争 信任の危機 ひとびとはやがて失脚した支配者の責任を追及する

ある国 三十年ほど前権力の座に着いた男 その支配は絶対的 自由を求める活動家たちの誘拐と暗殺を蔭であやつったと疑われ 三十年間私財をためこんだ
だがいまは弱々しく車椅子が要るふりをする老人 前大統領には飼い慣らしたたくさんの鳥しかない 昔の思い出になぐさめられる いまは鳥だけの大統領

ある国 孤独な男 見捨てられ 疫病神ときらわれ 忘れられ
愛するものもみんな行ってしまった 余生はただ無意味

魔王ラワナは生きている ジャングルの血ラワナは死んではいない 二つの山のあいだで押しつぶされた悪の帝王は その頭しか見えないが
ラワナ 別名ダサムカ 十面神は まだ世界を揺さぶろうとする そのひとりごと
おれはラワナ おれはダサムカ 人間の最悪面が十個組み合わされて一個の精子 犠牲者を求めて空を舞う
人間の魂と合体し 良心の子宮に巣くってやろう
おれは欲望とまぐわう馬だ おれの苦しむ頭のなかから無数の泡が立つ
憎しみでいっぱいの あてのはずれた魂 おれは怒る あなどるまいぞ おれの苦しみを人にも味わってもらおうか
ああ 孤独はこわい 忘れられたくないよ

これがラワナ 無数の見えない泡に変身した この暗黒の精はまだわれわれに力をふるう いまもまだ
さて ラワナとは ダサムカとは だれのことでしょう そしてわれわれは いったいだれなのでしょう

        *

いま起こっていることは突然でもなければ 理由のないことでもない
こうなるまでにアメリカ政府が何をやってきたか 何をやってこなかったか
だれに武器をあたえていたか その武器はどこで使われ だれを虐殺していたか いまもしているか その責任はだれがとっているか いないか
それらの歴史的条件の半世紀の蓄積の上に 今日がある

サイード ソンタグ チョムスキーたち アメリカ帝国の少数者の声もインターネットで飛び交っている
どうしてこんなことになったのかを理解するためには レバノンにいるイギリスのジャーナリストRobert Fiskのサイトを訪れてみよう
http://msanews.mynet.net/Scholars/Fisk/

(これまでに書いたテキスト、スケジュールなどは、「楽」にあります)



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