富樫雅彦と
高橋悠治

富樫雅彦といっしょに作った1976年のLP「トゥワイライト」をながめている。プレイヤーがなくて聞くことができない。2人の他に坂本龍一、豊住芳三郎、AYUO(そのころはちがう名前だった)が加わっている。解説が佐藤允彦。それが最初の出会いだった。
その後80年代後半からはデュオや三宅榛名のはいったトリオで毎月のように演奏していたこともあった。三宅の『憂愁の時』という打楽器とピアノとオーケストラの曲を東京ミュージック・ジョイ・フェスティバルで指揮したのもその頃のことだった。その録音はフォンテックの『高橋悠治リアルタイム2』に入っている。2000年にスペース・フーでスティーブ・レイシーも加わったトリオが富樫との最後の演奏になった。
最初に富樫の曲を弾いたときのこと、指定された音だけで演奏したら、かれは不満だった。ことばが追いつかない速さで感じたことを、説明するのさえもどかしくいらだたしいというふうだった。
ルールは破られるためにある。指定された音から外へひろがっていくもの、つぼみから花がひらくように、たまごの殻を破って鳥が現れるように、あらかじめ設定された限界を越えいくプロセス、それはその時その場のものであるしかない。生きている時間、ゆっくり呼吸できる空間、自分の音楽を忘れ、自分を忘れて、瞬間に感じられる世界にひきこまれるという感じ、聞こえてくる音を手がかりにして、方向も道もない虚空におきざりにされ、それでいて手は確実な音をつかんで応えている、夢のなかでひとりめざめているような、薄闇のなかの薄明かりに立って。
かれはいくつかの太鼓と鈴やシンバルの位置を決め、太鼓を調律するのに時間をかけ、完全と思われるセットをこんどはどう崩したらいいのか迷う。そのような時に電話で誘われて、いっしょに演奏したことが何回もあった。そのことを書こうとしても書けない。苦しんでいるうちに、時間だけがすぎていった。

jazz today 2003, ewe)




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