連弾の楽しみ


ピアノを弾く楽しみは やわらかい指先が硬くて冷たい鍵盤に触れ そっと押してみたり すべらしてみる感覚と そのたびにすこしずつちがう響きが返ってくることかもしれないと思う時がある ひとがいない部屋でそんなあそびにふける時間は すぐ終わってしまう

すぎていく時間 指先からこぼれて消えていく音 とどめようもなく それだから たいせつにとっておく楽しみ


つづけるために さまたげになると思える条件をわざと持ち込むことがある 割り込んでくる別な手 他人の演奏スタイル 楽譜 練習 ステージ ピアニストという職業 それらの条件や空間のなかで 抵抗を通して 知らなかった響きが近づいてくるのがわかる


ストラヴィンスキーの連弾は それまでの家庭音楽としての連弾 一つの鍵盤を分け合う二人の手の協調とはちがう 『春の祭典』では 手の交叉が

突然の位置変化だけでなく それぞれ異質な音楽のぶつかりになる 初演当時は原始主義と言われ はげしいリズム 不規則なアクセント 複数の調の和音が同時進行する色彩をもつ音楽の表面が強烈な印象を残した


その後のストラヴィンスキーのいわゆる新古典主義時代が 18世紀音楽のスタイルをとりながら リズムや和音が予期しない場所でゆがみ バランスを崩し 古典的規則からはずれていく意識的操作を見せているとすると 『祭典』の表面の荒々しさの下にも隠れた秩序があったのではないかと考えたのが 変拍子による伸縮を「リズムの人物たち」と名付けたメシアン リズム細胞の変奏と組み合わせと分析したブーレーズで ここから1950年代の前衛音楽の構造主義が出発したと言えるだろう


表面の身体性を見るか その奥の知性を見るかのちがいは 見る人の時代とその音楽を反映している それらの分析が追いかけるストラヴィンスキーの好奇心と音のあそびは 次々に素材を変え スタイルを変えていく からだをうごかし音をたのしむ子どもの悦びと同時に 経験を積んだ職人の繊細なくふうの数々もある 多面体であり多面鏡のように ちがう側面を見せ ちがう方向を見せる


『春の祭典』では 劇的で儀式的な進行のなかで うごきのパターンが積み重なっていくか いくつかのパターンを組み替えるかで おおまかな音のブロックが作られる 『ペトルーシュカ』では 雑踏の空間と閉じたおもちゃ箱の空間のコントラストのなかに パターンの多様な組み合わせとすばやい転換が起こる 操り人形のギクシャクした動きのなかに 停まっている情緒ではなく 運動する身体の発作的な感情があり 人間とも人形ともつかない仮の存在のロシア版ピエロであるペトルーシュカのコメディア・デラルテの即興性 道化の仮面に包まれた悲劇がある


高橋悠治