「音楽の時間」
―高橋悠治・今福龍太 音楽を句読点とした対話―
2000年11月27日(土)pm3−5.5
早稲田大学文学部36号館382教室にて

平井玄:こんにちは。私は平井といいます。早稲田大学に非常勤講師として来て3年目になるんですけれど、いわゆる 大学教師でも何でもないので面白いことをやりにきたという感じでして。今年の春にちょっとした映画をやりましてまた今日は、高橋悠治さんと今福龍太さんに 来ていただいて、講義とか大学の授業とかというよりも、音を出して好きに遊んでいただく、という感じで今日一日、何時間か楽しんでいただこうと思います。 高橋悠治さんと今福龍太さんについては、おそらくここに来ていらっしゃる皆さんはよくご存知だと思いますので、くどくどしいことを言わずに始めたいと思い ます。ただひとつだけ、どうしても私などは、大学で教えていてもつい肩に力が入ってしまいがちなんですけれど、悠治さんにせよ今福さんにせよ非常に脱力し た方々で、それぞれ音楽や学問の分野においても肩の力の抜けたことをずっとされてきて、私自身そこに触発されてきたという感じがありますので、そういう期 待も込めまして、今日は私も聴衆の一員として楽しんでいこうと思っています。では、よろしくお願いします。

・6つのパルティータへ
今福:どうしましょう(笑)。
高橋:そうねえ(笑)。
今福:今回は「音楽の時間」ということで高橋悠治さんとの公開対話の話があって、ぼくは二つ返事で引き受けたんですけれど、対話のやり方としてただ壇上に 2人で上がって比較的モノローグ的に話をし合うというよりは、なにかもう少し仕掛けがあってもいいかな、と最初に依頼を受けた時に考えました。あまり綿密 に高橋悠治さんと事前のやり取りをしたわけじゃないんですが、なんとなく、舞台にいろんな再生装置を置いて、それでいろんな音源を持ちよって、だけどそれ について話すんではなくて、対話と対話の間に、ピリオドやコンマを刻む感じで、音を少し鳴らしながら話をすればリズムが生まれるんじゃないか。そのことだ けお互いに確認して、どんな音を持ってくるかとかはぜんぜん相談せずに、今日いきなりここで話をする、ということになったわけなんです・・・・・・ (笑)。で、ぼくのほうからちょっと対話の導入めいた話をしましょうか。平井さんはああ言われましたが、普段、力の抜けた仕事ばかりしているかどうかは ちょっとわかりません(笑)。結構力を入れてるところもあるんですけれどね。とくに今日は特別に力が入ってしまうかもしれません。というのも、対話の相手 が高橋悠治さんだからなんですが。今日ぼくは、高橋さんにとってはやや居心地が悪いかもしれないけれど、多少レトロ的に(笑)話をしたいというか、少なく とも回顧的な視点を持って語らざるを得ないいきさつがあります。というのは、ちょうどここにいらっしゃる学生の方々はだいたい二十歳前後の方が多いと思う んですけど、ちょうどぼく自身がその頃、高橋悠治さんの、なんというか「追っかけ」というと(笑)、語弊がありますけどね、ともかくほとんどのコンサート に行ってた一人なんですね。だいたい当時はそういう人間というのは限られていて、高橋さんのやるどのコンサートに行っても同じ若者たちが、今思えば同じ顔 がほとんどいたという感じでした。
高橋:今も同じですね(笑)。
今福:そうですか。やはり今もそういう人たちが、もちろん世代は変わったかもしれないけれど、やっぱり高橋さんの周りにはいて、つねに別種の世界を共有し ているといった趣があると思うんです……。それにしても「高橋さん」ていうふうには言いにくいんですよね、「悠治さん」ですね。当時われわれの前にいたの はユウジ・タカハシというとてつもない膂力をもったピアニストだったわけです。そのことは確かにもう20数年前の出来事で、レトロ的って言ったのはそのこ となんですけど、ただそれから数年して、悠治さんがバッハとかシューマンとかドビュッシーとかそういう西欧のクラシカルなピアノ曲を公衆の前で弾くという 形のパフォーマンスをやめて、水牛楽団によってアジアの民衆音楽を取り上げ、表現形式としてもそれまでとは違う社会的な、あるいは政治的な意味をかなり強 く帯びたパフォーマンスをされていった頃、ぼくはメキシコにでかけました。それからほとんど10年ぐらい日本に戻ってこなかった。ですから水牛楽団から数 年後ぐらいから、ぼくはある意味で悠治さんがそれ以後やられていったことに関しては、リアルタイムで見るという経験からはいったん切れたわけです。それま での、都会での生の演奏の場から自分と悠治さんの音楽との関係を測量していた時期から、いきなりメキシコのインディオの太鼓と笛だけの素朴な音楽文化の世 界に入っていって、ワイルドな土地で自分なりに音と身体性の問題を探求してゆくことになってしまった。でもどこかに、悠治さんの音楽によって刺激された精 神が、そういうフィールドでもうごめいていたような気がします。考えてみれば70年代後半の悠治さんのコンサートというのは、今もそうなのかもしれません けど、高いステージの上で、聴衆と別れて演奏するという大掛かりなものではなくて、こじんまりしたギャラリーのようなワンフロアの空間にピアノをばんっと おいて、その周りを車座になって聴衆が取り囲んでよるというようなコンサートがほとんどでしたから、悠治さんが放射する、熱とか呼吸とかがそういうものが 直接伝わるような形で聞いていたんですね。演奏者と聴衆が、「音楽」という近代制度のなかで完全に弁別されるシステムからどこかはずれた、身体的な親近性 や相互作用が維持された場で音が鳴っているという感覚が強くありました。その意味では、インディオの祭りの音楽の場に意外に近かったのかもしれません。と もあれ、悠治さんの音楽表現の現場からは遠く離れてしまった十数年が経ち、こうして今日お会いして公開で対話することになったわけですが、今日のために、 「青空文庫」というインターネット上にテキストがいろいろ置いてある電子図書館のサイトにある悠治さんの「音楽の反方法論序説」という文章を通して読んで きました。これは悠治さん自身は単行本にはしないという考えのもとに、インターネット上にテキストデータだけを置いてあるというものですが、かなりの量で すねこれ。ダウンロードして普通に印刷すると7、80ページにもなるテキストなんですけど、ぼくはそれを2段組で読みやすくレイアウトして印刷して読むう ちに、強くひきこまれてしまった。『インターコミュニケーション』という雑誌に5年間連載されたもので、この雑誌にはぼくも何回か書いたことがあるので、 悠治さんの文章のかなりのものは一度目を通してたはずなんですけど、これだけまとまったかたちで読んで、正直に言って驚嘆、というか驚愕したんです。これ はとてつもないテキストだな、と直感しました。今日は、キューバのルンバのパーカッションとか、先日死んだポール・ボウルズのメキシコ音楽の影響のあるピ アノ曲とか、素朴なメキシコ湾岸地方のソンの合奏などをかけようかと思って考えてはきましたが、ある意味でこのようなジャンル的に聴けてしまう音源をかけ ることがまったく場違いなような、非常に本質的な言葉だけでか書かれた文章として「音楽の反方法論序説」のメッセージは特別に強烈で、かつアクチュアルで した。今日はだから、半分はレトロモードなんですが、しかし、「音楽の反方法論」を読んですごくぼくが感じたのは、これがある意味で現在の高橋悠治という 音楽家の本質的な思考のひとつの断面であるとすれば、この文章から受けるぼく自身の印象は、やっぱり25年ほど前にですね、悠治さんのコンサートにいて、 ぼくがそこから受け取っていた何か非常に突き詰められた、エッセンシャルな方法論への指向性と、同じものだということです。つまり25年前の悠治さんのコ ンサートも、それは単なる音楽じゃなかったんです。はじめから単なる音楽じゃなかった。ではそれは何なのか、っていうことを常に突きつけられながらぼくは ひたすら演奏会に足を運んでいた記憶があるんですね。そしてその問いかけにたいする非常に明快で深いひとつの教えを、「音楽の反方法論」は与えてくれたよ うな気がする。だから多分今日は少しレトロ的に話すかもしれないけれども、それは決して過去を懐旧するという意味ではなくて、20数年前のぼく自身にとっ ての高橋悠治という音楽家の存在感が今現在のこの「音楽の反方法論序説」によってむしろ増幅されているっていう、そういう意味での前向きのレトロです。回 顧的に語っても、それはかならずしも過去のモードで、過去について語ることにはならないんじゃないのか、という予感があるんです・・・。喋りすぎたので悠 治さんからも何かひとこと。
高橋:まあそういう風にいわれても何と言ったらいいのかわからないですけどもね(笑)。えー、まあ昔はピアニストだったし、今も時々ピアニストですけ ど……。だけど、こういうことをしてきた、ああいうこともしてきたっていうことの半分ぐらいは忘れていて、あんまり首尾一貫してないかもしれないけど、ど うですかね……、なんか音を鳴らして、その間に次に言うことを考えるっていうのは(笑)。
今福:だったらまず、ピアニスト高橋悠治のバッハの「レコード」をかけましょうか。
高橋:いいですよ。昔の名前で出ています(笑)。
今福:ぼくと同世代の人にとっては、このレコードをかけるっていうのは多少とも青臭い記憶に結びついているかもしれませんが、多分多くの、ここに集まった 若い方々にとっては、悠治さんが70年代の半ば頃に特にバッハの特異な演奏者・解釈者として、非常にユニークなポジションにいたことは、音楽史の講義では 聞いているかもしれないけども、あまり知られてないとも思うんですね。しかもその音をレコード版で聞くっていうこと自体がどうでしょう?……CDでは出て いないんですよね?
高橋:いや、一応CDに復刻したと思いますがね。でもまあすぐに無くなるから(笑)。
今福:当時はこのDENNONのTCMレコーディングというものもので登場した悠治さんのバッハ・シリーズが鮮烈でした。これはディジタルのレコーディングになる直前の……
高橋:これはもうディジタルだよ。
今福:そうでした、もうディジタルですね。最終的にはアナログ版になってますけど、録音のプロセスとしては、当時としては多分最初のディジタル録音で、悠 治さんがバッハをバリバリと弾かれていた。もちろんコンサートでもそうでした。日生劇場でのゴールドベルグ変奏曲のコンサートの印象がとりわけ強烈です。 バッハのレコードは数多く出てるんですが、ぼくが一番興奮する録音を(悠治さんくすりと笑う)ちょっとかけます。6つのパルティータのなかの第6番なんで すけど。たしかにパルティータはヴィルトゥオーゾによる名演がたくさんあります。グールドも全曲やってるし、ワイセンベルクも全曲やってる。グールドの4 番は素晴らしい。ワイセンベルクの5番のスピードにもしびれた。けれどもぼくは、6番は悠治さんのしか聞けないんです。それほどに緊迫したスリリングな演 奏です。ピアノによって「時間」というもの自体が変形操作されているような、不思議な演奏なんです。ともかく。(レコードをかける。音楽が流れる。)

・音楽の空間
高橋:(音楽を聴きながら)今福さんあれでしょ、コンサート行ったりあまりしないでしょ。
今福:しないです。わかりますか?
高橋:やっぱりコンサートっていうのはいやですかね。
今福:ええ。20数年前の自分のことを考えると、コンサートという場の意味に関して非常にナイーブに考えてたなあ、と思うんです。別に悠治さんの演奏会だ けじゃなくて、それこそ上野の東京文化会館であろうがなんであろうが、平気で入っていってクラシックのコンサートという場に昔は行けたということ自体が、 不思議ですね。
高橋:ちょっとうるさいみたいだな(笑)。(音量が下げられ、音楽が2人の声の後景に退く。)
今福:いつからそんなふうになったかは一概には言えないんですが、悠治さんのコンサートは最初から音楽をするという行為をどこかで客体化する視線があった ような気がしますね。たしかにかたちの上ではコンサートというひとつの社会的な形式がとりあえずあって、それしかあまり選択肢がないというなかで、ピアノ を弾いたり……。でも水牛楽団になると、形態としてはコンサートとはだいぶ違うものになったわけですね。
高橋:水牛楽団の場合はね、コンサートっていうのはしたけど、主には集会に行って。
今福:ああ、そうですね。
高橋:そこで一曲か二曲かやりますよって形でしたからね、それはいる人も違うし、場もぜんぜん違うわけですよ。だから、今、そういう場がなくなってしまう と、やっぱり音楽をやるためには、CDを作るか、コンサートをやるか。で、コンサートをやる場所っていうのは他のことをあまりできない場所だから、しょう がないなあと思いながらやってるわけですけどね。これをまったく否定してしまったらば……、というか、まあ、この場所でもやれることは何かあるかもしれな いということがひとつあるし、それから、それもひとつの条件だし、そこから違う条件のつけ方もありうるんじゃないか、というようなことも考えますよね。だ から、水牛楽団をやめてから、コンサートの世界、あるいはライヴハウスっていうのをしばらくやりましたね。即興で、あれこれの人とセッションをやる。5、 6年はやったかな、それはすぐ飽きてしまったけど。みんな、この人はこれやるだろうと思うとそれをやるんですよね(笑)。なんだまたこれかっていうことに なると、いつも違う人とやらなければならないっていう、これ一種の「消費」でしょうね、それと……ライヴハウスは暗い場所なのよ。地下だから、なんか息苦 しいなあっていう感じで、一生懸命に……何というかな、そういう所に来るお客さんていうのは、盛り上がらないと許さないみたいな感じがひしひしとあって ね。こちらは盛り上がるって事がいやなもんだから(笑)、ということになると、コンサートだけが残った。もういいやって感じになってきますね、段々ね。何 かないもんでしょうかね、新しい空間は(笑)。
今福:「音楽をする」ということは、それがある空間と時間を使うものであるとすれば、どこに公共の空間と時間との接続を作るかという問題がかならず出てく ると思う。それを完全に拒絶することも、まあ原理的にはできないことはないかもしれない。でもそれはグレン・グールドがやったように単にコンサートをボイ コットしてスタジオに篭ることとは違う。スタジオでレコードやCDを作ることだけに専念しても、レコード自体がパブリックな商品としての流通を前提として いるわけですから、それは相変わらず公共の時間や空間に音楽を接続する通路の別の作り方でしかないわけで……。むしろ音楽における公共性という問題を本当 にミニマムなところまで突き詰めていった時に、最後に何が音楽を作るものと音楽との間に残るか、というようなところまで今の悠治さんは来てしまったという 気がするんです。これはたぶん非常に本質的な、というか今日の対話では多分最後のほうに出てくるかな、と思ってたことなんですが。ただもちろん、それが単 に、音楽と公共的な場所や時間の関係を単に削ぎ落としていくという形ではなくて、音と音の作り手のあいだのミニマムな関係の地点からもう一度、公共的な表 現の場を新しい音楽的通路として創造したいという考えもあるのでしょうか。コンサート以外に何かイメージはありますか。
高橋:うーん。
今福:ていうかね、逆に言うといまの悠治さんは自分の手と楽器との間の、極小の関係に非常に集中されてると思うんですよね。それは、ある意味では自分と楽 器があれば作ることができる世界ですよね。ではその中で音楽っていうのものが自律しうるのか。音楽と権力の問題もありますよね。楽器っていうのは社会のな かにヒエラルキーが生まれてきて、社会が権力化すると同時にどんどん大きい音を出すようになっていって、楽器も大型化していった。小泉文夫さんが和琴から 現在の琴への変遷を辿りながらそう説得的に論じていましたよね。大きい音を出すっていうのは、自分以外の人間にも音が聞こえるっていうことですよね。コン サートホールとかオペラハウスというのは、さらにその音の権力的な拡張性を、舞台上の演奏者と聴衆を結ぶ階層的な空間構造として可視化したものでもあるわ けですよね。ですから、もともとは自分に聞こえれば充分だったというのが楽器のミニマムな原形であるとすれば、それはある意味で公共的な社会空間を必要と しないようなものであった、というふうに言えるのでしょうか。
高橋:それはねえ、自分と楽器があって、だけどそれは事柄の半分でしかないんですよね。手がある、楽器がある、それで成り立つかっていうと、それだけ じゃない、と思うんですね。例えば、アジアのいろんな所で、誰かがひとりで笛を吹いているっていう場合もね、環境っていうものがあるわけでしょう。それと 無関係なものではない。そういう環境は、今ここにはない。ではまったく閉じたものかっていうと、そういうことはないですよね。だから、手を通じて……手っ ていうのはまあ、先端にあるもので。体がある、それから楽器がある、楽器っていうのはまあ外側にある世界のひとつの先端だとすると、その先端同士がこう触 れ合っている(と、両手の指先と指先をそれぞれ併せてドーム型の形を作る)。だけど、体というものも世界の中にあるし、世界というものも体の中にある、そ ういうような関係がある限り、そこだけで、手と楽器の接触だけで閉じてしまうと、やっぱり、何かを見落としている、ということがある。それから、一見ミニ マムなようだけど、これはマキシマムでもある。
今福:そうですね。ある意味でマキシマムに到達するためにはそこまでミニマムに関係を切り詰めていかないと、かえって外側の環境という世界に開いていかな いんでしょうね。一方、コンサートというそれ自体すでに歴史的に制度化された場において技術的にピアノと自分の手の先端に意識を集中しているというよう な、いわゆるヴィルトゥオーシテみたいな形で閉じていくと、これはある意味で、外の環境を含む全部が閉じている。陶酔的なマニエリスムの世界ですよね。そ うじゃない形で、楽器と指の関係の中からマキシマムな全体性の世界が開くという可能性がありうると思うんです。この「音楽の反方法論序説」には非常に喚起 的な言葉が沢山あるんですが、「装飾の先端に内面の変化を読み取ろうとする」と書いてありますね。だから、先端部分に何か具体的に触れ合うインターフェイ スがあるわけですね。だけど先端の動きっていうのは実は、一番深い内面のところで起こっている変化みたいなものを示している、あるいはそれを取り出すため に先端部分に注意を集中するという、そういうことですか。
高橋:別な譬えで言うとね、池に月が映っているっていうでしょ。すると、水の表面が静まってる時に、水の底までを見通せる、ということと同時に、そこに月 が映っているというときには、それはね、水の表面なんですよ。それは外側であり内側であるんだけど。それで、月というのは外側の、非常に遠いところにある のかもしれないけど、もしかすると、水の底にあるかもしれない。それは同じようなことね。表面っていうのはどっち側の表面とも言えるでしょう。それから内 側はどっちで、外側はどっちかっていうこともあんまり関係なくなる。で、そういう広がりを持ったものを、ただ一枚の膜の上にこう反映してる、そういうもの ですよね。
今福:池の表面が静かになると、月が非常にはっきり映りますね。それで、月と地上との距離が池の中にある月の深度として逆にはっきり見えますよね。それは鏡のようになっているわけですから。
高橋:ええ。
今福:だけど表面が揺れると、その深度は一瞬のうちに消えて、ただ光の揺らめきだけが波の表面にうつろう。表層の動きを小さくすればするほど、内面にある 動きがはっきり見えてくる、というふうにも悠治さんは書かれていて、それが非常に面白い関係だと思うんですけれども。そこで、もうバッハを弾かれてるとき から悠治さんは多分、テンポという要素を使いながら、そうした問題を考えようとしてきた。近代のピアノ奏法というのは指の動きをできるだけスムースに使う ことによって必要なテンポを実現し、それが超絶技巧の曲であればあるほど運指の合理性によって早いテンポを達成するという思想があって、曲もそうした考え 方に拠って書かれてきましたよね。ところが悠治さんは、このテンポという根幹の概念をめぐってさまざまな実験を繰り返しながら、指の動きをぎりぎりまで、 極小のところまで抑えて、曲自体のバランスが崩れる寸前のところまで例えばテンポを落としたりしながらバッハを弾かれてたことがあったと思うんです。ぼく もその当時はまだ良く分からなかったんですけども、今になると、それによって何かある内面の動きみたいなものが、非常にはっきり聞こえてたのではないかと いう気もするんですね。こうしたことは、「クラシック音楽」あるいはその一突出形態としての「現代音楽」というジャンルのなかで、コンサートという形態に もとりあえず乗っかりながら、悠治さんが一貫して考えてこられたことだと思うんです。いま言われた池に映る月の比喩は喚起的ですね。表面の動きと内面とが 連動し、表層が深層で起こっている動きや流れを表す……。たぶんいま悠治さんが一番関心を持たれているのが、この深層のところにあって動いてるものだと思 うんですよ。それは、音楽と言ってしまったり、あるいは音がここにありますと言った時にはふっと消えてしまうようなね。そうじゃないですか(笑)。
高橋:ええ、だから、音というふうに、何かものがあるんじゃなくて、それはひとつのプロセスに過ぎないっていうのは考えますけどね。それでまあ、ひとつの 音だけを見ないっていうようなことも考えますよね。どういう次元で取っても、ひとつの音だけを取ったりしても、この瞬間にこれが音だ、とかね、ここにあ る、とか言えるようなことじゃないから。ひとつの音っていうのじゃなくて、流れていく、流れのここでというようなことがないところで、たよりになる何物も なくて、じゃあどうするかっていうことになってくるでしょう。まあこれでいい、んだかなんかわからない、というようなものでないとだめ、と言っちゃ変だけ どね(笑)。だけど結局、ずっとそういう所にいるわけですよね。何か新しくやるたびに、こんなことができるのかってことで、それでやってみると、しばらく は、あ、これで良かったんだと思えるときがある、だけどそれはまたすぐ消えていくわけよね。
今福:これで良かったんだって思える時があった、その記憶はその都度あるんですね、やっぱり。
高橋:まあ、その時は間に合ったっていうようなことでしょうね。

・反方法論によるバッハ
今福:ああ、間に合ってた(笑)。たとえば、いまちょっと聞いたバッハの演奏の頃は、やはりバッハという媒体を使いながらそれをやろうとしていて、ある手応えがあったんですか?
高橋:その頃バッハを弾いてて、ですか……、それはまあ、なんかあったんでしょうね、わかんないけどね。今同じ物を弾くとしたら、同じものはできないと思うんですよ。はるかに素直にやっていたなあ、という気はするんですよ。
今福:ああ、かつての方が。
高橋:ええ、素直にっていうか、まだスピードがあるっていうかね。
今福:個人的にはそのあたりのことをぜひ聞きたいんですけど、いま、やらないかもしれない、多分やらないのでしょうけど、やったとしたら、そのときのイメージっていうのはあるんですか、バッハの。
高橋:バッハのですか、やらないっていうことはないですよ。
今福:やるかもしれない?
高橋:確実にやると思いますね。今年はバッハの死後250年だから、なんか頼まれるっていうことは絶対にあるんですよ(笑)。
今福:頼まれれば断らずにやるんですね。
高橋:それはね、きっかけですからね。だからそれをやって、何か違うものを一緒にやると。そういうことで、まあ職業は成り立ってるんですよ。
今福:その場合、いまの時点でバッハにたいするイメージっていうとどんなものなんでしょう……。たとえばいま、昔の演奏はスピードがちゃんとあった、とおっしゃいましたよね。いまのイメージではどうなんですか、その辺は?
高橋:うーん、今のイメージっていうのは、たとえばテンポというものは無い、リズムというものも無い……リズムも無いっていうのはちょっと言い過ぎかな。 だから、何かこう、外側で規制している原理みたいなものを全部取り払ったときに、どういう風になるかっていうことですね。それで、その外側で規制している ものっていうのは、ヨーロッパ近代精神みたいなもの、格子のある空間とかね、その中に全てがこう、座標軸の上の点を繋げていけばできるような、そういう時 間であり空間である、そういうようなことでなくて……、それから、まあこれは同じことなんだけど、音階がある、調性がある、そういうもの、区切られたも の、測られるもの、そういう尺度を立てて、それで測られるものをそこに作り出していく、そういうことじゃなくて、過ぎていく音がある、その瞬間の彩りみた いなもの、それが移り変わっていく、それを体の内側からの感覚で……、でも、作る、とは言えないだろうな……。
今福:それはピアノでも可能なことなんですね。あいかわらずピアノで。
高橋:それはね、チェンバロとかが出てきてわけでしょう。だけどね、チェンバロを弾こうと何弾こうと、近代化した感覚っていうものは変わらないんですね。 ピアノだからできる、できないっていう、そういうこととはちょっと違う面があるんですよね。たぶん近代からバッハを見ているってことは、この250年間、 ヨーロッパの音楽家にとってバッハっていうのはひとつの鏡として、自分の持っている近代精神をそこへ投影していたわけで。そこを反対側から見るとどうなる か。反対側から見るとね、近代になって、近代になるために捨ててきたイデオロギーが、まだそこに残っている。で、そちら側から見ていくということで、逆の 展望が開けるっていうんじゃないかっていうようなことね。そっちの方の展望というのは、アジアの色々な音楽、そうだな……70年代の後半から、たとえば フィリピンでホセ・マセダがやってるような、アジアの村の音楽を見直して、そこから何か、全然別なものの展望を切り開くっていう、そっから学んできたわけ だし、それから、最近は日本の伝統楽器を使いながら、何がこっから開けるのかっていうことを、考えてきたわけだし。それが最近十年やってきたことですよ。 だけど、これはすごく危ない仕事でね。伝統ってものがある、伝統ってものはやっぱり学ばないと分からないことなんですよ、特に、体で学ばないと分からな い。音をただ聞くとか、西洋の楽器でなぞってみるとか、それから、楽譜になったものを見ると、こういうことは操作できるなにかだっていう感じになるわけで しょ、外側にあるものね。ところが、うまく弾けないにしろ、伝統楽器を実際にさわってみると、そこから出てくる展望はまったく別なんですね。もちろん、伝 統自体はどんどん変化していくものだし、どこでもそうだけど、近代化していくわけですよ。やってる人たちも、もう既に忘れちゃってるものがあるんですね。 だから一見、ネジを逆に巻いていくような(両手をグルグルと回す)、ほどいていくというような、そういうことを一回通さないと、伝統が何百年もかけて完成 したものに囚われていって、ますます狭くなっていくっていう感じがするんです。そこで、名人芸のようなこととは反対に行くっていう感じね。慣れてきたもの を全部逆にしてみる。
今福:「反方法論」と言われてるのはそういうことですね。
高橋:そういうこともありますね。
今福:いまのお話を聞いていて、いくつか非常に本質的な問いが浮かんだんです。ひとつはバッハに関してですね、いまおっしゃったような感覚を実現しようと したときに、外形的に西洋音楽を規定してきたさまざまな要素をひとつひとつある意味で切り捨てていってそっちに到達してくっていう弾き方がひとつあると思 うんですよ。ちょっとわからないですけど多分あるんじゃないかと思うんです。で、もうひとつは、そうではなくて、じかに核心にある、一番内奥にある、ゆら ゆらした技法みたいなものを、バッハを通じて直に掴み取るっていうか、そういう弾き方もありうる……。悠治さんのイメージとして、いまバッハを弾く場合に ね、それはどちらの方法になるのか、あるいはそのどちらでもないのか。
高橋:その場合削り取っていくっていうのはどういう意味なのかなあ。
今福:つまり一種の批判行為として、古典的な音楽という制度や構造を規定しているあらゆる外形的な要素・組成を無化してみるというようなことでしょうか。 テンポはない、リズムもないという風にさっきおっしゃっていたけれども、そうすると当然ピッチというものもある意味ではどうでもよくて、ただ音色(おん しょく)という外形を規定し得ない問題が残りますよね。これは当初からたぶん悠治さんがバッハにおいてもこだわってきた問題だと思うんですが、ともかく西 洋音楽が外形的に規定してきた規則性や形式性をある意味で批判的に解釈し、それを切り捨てるっていうのは現実の音楽の演奏行為としてどうやるかというのは ぼくもまったくイメージが湧かないんですけども、ともかくなんらかの方法で消去していくことで、核心に到達する、あるいは近付くっていうやり方ですね。そ れからもう一つは、伝統社会の世界観なんていうのは、ある意味で核心にある宇宙の存在をじかに名指したり感知したりあるいはそれを掴み出したりする、そう いう非常に直接的な思考テクニックがあると思うんです。夢見であるとか、トランスであるとか、あるいは神話を媒介にしたものでもいいのですが。それは緻密 な身体技法であると同時に思考の技法でもあると思うんですね。むしろそうしたプリミティヴな身体方法論に近づくイメージが悠治さんのなかにあるのか。そう いうことがバッハを演奏する行為を通じてできるんではないかと考えられているのか、それともやっぱりそれはある種の、演奏という形式を借りたなかで夾雑物 に見える要素をひとつひとつ取り除いていくという批評行為としてしかできないというふうに考えているのか。
高橋:ああ、なるほどそれが切り落とすってことか。その二つは、そんなに違うものじゃないと思うんですよ。切り落としていくっていうことを批評行為と捉え るならば、それはやっぱり、分析的な、知性的な、批判ですね、なので、実際に切り落とすってことをやるのはですね、それは身体的な、あるいは……動きその もの、動きのときに、動いているものをどう感じるかっていうことなんですね。結果から言えば、切り落としていると見えるようになるし、ただそれは知的な、 知性による批評ではない、ということですね。それから、一番本質的なものって言っても、それは思考によってつかまえられるものではないんですよ。両方は近 い。そして、それがバッハを演奏することでも可能かっていわれるとね、ある程度可能だ、だけど、それは所詮、ヨーロッパ音楽であり、そういう運命を背負っ ているということをどうするか……、オーバーだけどね(笑)。そこで、それだけやっていてもやっぱり物足りないから、違うことを同時にやっていくわけで しょ。
今福:マセダの音楽をお持ちになられているようなので、それを聴きたいとも思うのですが、その前に最後にもう一度うかがっておきたいんです。やはりバッハ はどこかで、高橋さんがイメージされている、人間と楽器のあいだに通じている技法的な身体関係というようなものへの感覚を持っていて、そのことをバッハを 演奏することを通じて現在において引き出すことは可能だと考えられるのか。そうだとすれば、それがバッハのある種の特殊性、特殊性っていうのも変ですけど ね、バッハのある個性なのか。バッハだからこそ楽器との間の身体性のようなものをより強く引き出す可能性があるかどうか、という点はどうですか。あるいは バッハの音楽のなかにそういうものの痕跡を悠治さんが認められているということになるのか。または、いずれにしてもそれはどんな音楽のなかからでも自分の 演奏行為をつうじて引き出せるというふうにお考えなのか。
高橋:それは比較の問題ですけどね、バッハは、他の音楽よりも、こういう事に適している、と言うこともできるかもしれないけど、それは、どの あたりで比較をするかによるわけで、そういうことを不用意に言っていると、やっぱり、バッハは偉大であったっていうことに帰ってくるわけですよ(笑)。だからねそれはあんまりいいたくない(笑)。
今福:ただバッハの現代的な意味をそういうかたちで定義するっていうか定位するならば、それはこれまでの音楽史的なバッハ評価とはずいぶん違うと思うんですよね。それは別に偉大さでなくてもいいわけですよ。バッハのアクチュアルな可能性であってね。
高橋:あの時期の音楽は、前から来るものがある、それから後から振り返られていくものがある、それがちょうどぶつかる波の頂点みたいなものがあるとします ね、その時代によってそういう地点が、それはバッハにしたっていいし、アインシュタインかもライプニッツかもしれないけど、それを違う面から見ることも可 能にする、といういくつかの結び目、というふうに言えばいいのかな。
今福:悠治さんは「音楽の反方法論序説」のなかで「音色の数学」っていうふうなことを言われていますね。この「音色の数学」ということばは、近代西洋音楽 が数学化できなかったものの秘儀的な構造を見事に言い当てている気がするんです。西洋音楽において、ある数学的な構造というものが、ピッチとか、テンポと か、リズムとか、調性とかそういったかたちで作られてきて研ぎ澄まされてきた。バッハというのはある意味でそういう数学性において、もっとも構造的な緻密 さとか豊かさとか快楽とかを実現した、まあ対位法にしてもそうですけど、ある意味その数学美の頂点にあるような、そういう音楽だと思われてるわけで、もち ろんそれは一面の事実だと思います。けれども同時に悠治さんが「音色の数学」って言われたときに、それは音色の問題でもあるしそれを引き出す身体の問題で もあるし、そしてそれらが統合されたある種の作法の問題でもある。それらはすべて、いままでの近代音楽のなかでは少なくとも数学的な構造性を持ったものと して構築できなかった部分ですよね。しかし音色の数学っていうのはあるはずだし、それがあるとすればそれは確率論の反対、反確率論のようなものの姿を取る のかもしれない、というふうにも悠治さんは書かれていますね。ある意味で、音楽の数学的構造をもっとも完璧な形で提示したと思われているバッハの中に、あ る意味で反数学を見出すようなね因子というか、何かそういうものもあるのか。それはもっと根源的にいえば、つまりバッハの固有性というよりは、音楽という 行為の中で人間が何かを考え何かを行ってきたことには、必ずもとのところまでたどってみると、外形的な構造というか数学的な論理とか、そういうものを生み 出す原点となったものの中に、実はまったく反対の何かを生み出す端緒もあった、という予感として考えていいんでしょうか。ぼく自身は、音楽という場ではな いけれども、人間の身体とか身体の技術とか作法の問題を、思考の近代的な分析的な論理とは別の、プリミティヴな社会における全体論的な思考形態とか、ある いはそれに関わる憑依的・陶酔的・浸透的身体性の問題とか、そういう形でずっと考えてきたんです。その問題と非常に繋がっている気がするんですよ。肉体が 論理を生みだす流れを逆行して、身体が存在する端緒の世界に入ってゆくということですよね。
高橋:そういうときもありました。しかし、これはね、ひとつの批判なんですよ、そうなるとね。つまり、ある種の典型だと見られているものに対して、逆の視 点を切り開くことでそこから出て行くってことでしょ。これは、ヨーロッパ音楽に対する批判であるっていう風に言えるんですよね。だけど、じゃあ批判にとど まるということはね、批判という知性の働きかけ方においてヨーロッパ的にとどまるんですよ。だから、話はこれくらいにして(笑)、その間に、次のことを考 える、と。

・音楽と身体
(テープが再生される。どごんどごんとした打楽器の音楽が聞こえる)これはね、アグンガンAgunganていう曲なんですけどね、これがマセダの音楽を聴 いた一番始めなんです。これはね、1966年にマニラで東西音楽会議っていうのがありまして、それに出たときに、ちょうど、この曲が初演のときだったんだ な。マルコスが大統領になった年だったんですよ。それで、イメルダ・マルコスが、マニラの文化会館かな、大きな、今もありますけどね、そういうものを建て て、そこに世界中から音楽家と音楽学者を呼び集めて、東西音楽会議というわけで、そこに呼ばれて行ったわけですね。そうしたら、空港からパトカー先導 (笑)、というような感じで、大歓迎されたんですよ。西洋音楽もあるし、あちこちの伝統音楽もあるし、という中で、マセダが、フィリピン大学の学生を集め て、オーケストラの編成を使って、その中でやった自分の作品がこれなんですね。「アグンガン」ていうのは、ゴングの集合体という意味でね、ゴングが60個 ぐらいあるんですよ。それで、非常にびっくりしたんです。というのは、打楽器のオーケストラは、今までのヨーロッパの現代音楽では、とにかくうるさい音楽 だった。ゴングが60個あれば、すごくやかましいに決まってる、力のデモンストレーションみたいな……、この曲の第一印象ですけどね、今テープで聞くと必 ずしもおんなじふうに思えないかもしれないけど、風がね、ざわめいているような、そういうふうに聞こえたんですね。これは、熱帯雨林の雰囲気というかね、 (西洋音楽とは)ぜんぜん違うものがここにある、という気がしましたね。それが初めての出会いで、その10年あと、1976年頃からマセダの論文なんかを 訳して、結局、一冊の本にまとめたわけです。こういうふうに聞こえたものが一体どういうふうに、どんな考えで作られてるかっていうのが分かり始めたのが ちょうど10年後ですね。エネルギーがあるっていうことが、なんて言うかな、暴力的な表現ではないっていう感じはすごくありますね、どうですかね。
今福:ということはつまり、西洋音楽においては、楽器に対峙した身体がそこにある力を行使して音を出すというのは、ある種の暴力的な行為である、そういう感覚があるということですか
高橋:それはありますね。やっぱり、楽器は外部のものである、それに対してどういうふうに楽器を征服して、そういうのが名人である、みたいな感じがあるわけでしょ。それを見せることで、今度は聴衆を征服するというのが(笑)ヴィルトゥオーゾのやることだからね。
今福:やっぱりこういう音楽には、楽器と身体のあいだの非常に相互浸透的な関係が直感的に感じ取れますね。それがあったからこそ、楽器音を風のざわめきの ように感じられたわけでしょう。この感覚の発見を、その後の悠治さん自身の音楽活動にどういう風に、プロセスとして取り込まれてきたんでしょう。ひとつに は自分の、けっして従順な西洋音楽の実践者ではもちろんなかった演奏家としての身体の組成みたいなものを、さらに徹底して壊していくプロセスというような ものがあったんではないでしょうか……。「音楽の反方法論序説」のなかで、ピアノ奏法を近代スポーツに喩えている部分がありますね。これはとても面白かっ たのですが、結局、これはさっきの話の繰り返しになるのかもしれないけど、音の相互平等性・均質性を前提としてそれを数学的に構築し操作していくというの が近代のピアノ奏法であるとすれば、近代スポーツというのもおなじような人間身体の均質性を前提として成立したものです。最近なんとなく、ほとんど偶然も あったんですけどサッカー批評のようなことをはじめてしまったんですが、そういう中でいろいろと考えてきたことの中心は、近代スポーツという制度も人間の 身体がある種規格化された、均質で平準なもの、要するに、動き回ることのできるコマみたいなものであると想定することからはじまったわけです。特に近代ス ポーツのなかでもサッカーやラグビーのような集団競技というのは、選手の身体の記号的抽象化によってフォーメーションを考え、戦術を考え、人間の身体って いうのはリプレイすることができる、条件に応じてリセットできる、そういう規格化されたものと想定したわけです。ピアノ技法でいえば、ヴィルトゥオーシテ は人間の規格化された身体に投下されるピアノ操作技術の熟練の度合いによって決定される。近代スポーツもそういった技術観を持っているので、球なら球の操 作技術にかんして普遍的な訓練法、すなわち万人に均等に効力を持ったある訓練法というものが開発されていきます。それは当然、人間の身体がある均質性を 持った受容体であるという前提がなければ成立しない発想ですよね。悠治さんも言われたように、観客を最終的にヴィルトゥオーシテによって魅了するというコ ンサートやレコーディングによる一種の最終目的は、近代スポーツにあてはめればちょうど勝利という感覚によって対応するようなものになる。ぼくもスポーツ の側からまったく同じことを考えていたところがあるんです。音が均質なものでないと同じように、人間の身体というものもあらゆる差異と揺らぎを固有に持っ て、その都度その都度ある種のプロセスというか流動というか、生成と消滅のそのあわいみたいなところでしか存在しないようなものであるという感覚ですよ ね。
今福:それで、さっきちょっと悠治さんには個人的に話したんですが、ぼく自身去年の春に腰を痛めまして、5週間ほどほとんど身動きができない形で入院した んです。まったく初めてですね、こんなに長期間病院に入院するという経験自体が。椎間板ヘルニアという、自分がなってみたら周囲に結構自分もやったってい う人が沢山いて、まあ、いろいろ同情してもらったんですが(笑)、非常に強い痛みを伴うもので。しかもその痛みというのも不思議な痛みなんです。普通は切 り傷とかであれば、切ったところが明らかに、想像できるような感覚として「痛い」わけですよね。つまりその痛みは、ある意味でわれわれの思考のなかですで にモデル化された抽象的な痛みの感覚のイメージに合致するようなものですから、それがどれほど痛いものであれそれ自体は少しも驚きではない。ところが今回 は、腰椎の骨と骨とのあいだにあるディスク、つまり椎間板のなかにある髄核というものが外にはみ出してしまって、それが神経を圧迫して強烈な痛みが生じた わけです。しかもその神経は左下半身のほうに伸びている神経の末端部分で、はみ出した髄核はそこに触れていた。それによって左足の神経に激痛が走って座る ことも立つこともできず、ようやく寝て体を丸めていると何とか痛みに耐えられる、という状況だったんですね。腰椎の髄核がはみ出したんだということは、レ ントゲンやMRI 撮影などをすればすぐ分かるんです。だから自分の故障の患部がどこにあるかってということは、頭では理解できるんですね。それはこの腰のこの辺りっていう 風に。ところが、それに伴う痛みがどこにあるかというと、全然違うところにある。左足の指先の痺れからはじまって、非常に不思議な疼痛っていうのかなあ、 重苦しい疼きみたいなものが、どことも言えない形で左下半身に広がっている。そのことがなかなかまず理解できない。その理由は、患部と痛みの出ている場所 が全然違うっていうのがひとつと、それからその痛み自体がさっき言ったようにどこに痛みがあるっていうふうに言えない種類の疼痛であるという点。だからど こをこう触っても、痛みは緩和されないわけですね。まあ、触ったからって物理的に痛みが緩和されるわけじゃないですけれども、われわれはつい痛みがある と、その痛みのある場所を押したり触ったりして少しでも緩和しようとしたり忘れようとしたりしますよね。そういう行為もうまく働かないような痛み、それが ずっと続いているという感覚なんです。そのうちに、自分の意識のなかで左足の存在が消えてしまったんです。もはやしびれていて触っても感覚がほとんどな い。ただ、痛みというものだけで左足を感じるんですね。足の触覚自体が消えると左足の存在感が消えて、何が残ったかというとどこともいえない疼き。この疼 痛だけが、いわば自分の左足の存在を繋ぎ止めているんだという、そういう感覚です。これは不思議な発見でした。その時にベッドで考えていたのは、人間の足 でも手でもいんですけど、事故や戦闘などで切断したあとで、幻肢痛というのがあって、そのことなんです。幻肢痛というのは、存在しない身体器官の先端が痛 んだり疼いたりするという感覚のことで、ベトナム戦争の戦闘で身体器官を失った人が、もう無いはずの左足の先端が痛いといったようなことがよく書かれてい ました。これは、つまり人間の身体が外形的な物理的存在として、自分の頭脳なり感覚のなかで統合されている、という考え自体が実は幻想に過ぎないのかもし れない、ということを考えさせます。身体とは、存在しない自分の肉体をも同時に引きずっているようななにかだ、ということ。そんな感じが、足を失ったわけ ではないですけども、少し感覚として分かるようになった部分もあるわけです。サッカーのことを話しだすと少し話題が通俗化するかもしれませんが、サッカー のプレーを見てぼく自身が何に興奮するかというと、ある意味でトレーニングを受けた、規格化された身体の最上の状態があるプレーによって表現されてるから ではなくて、そういうものから逆行するような、ある種の不具、身体の不具性の発露みたいなかたちでね、規格化された健康で健在な身体というような神話が砕 かれてしまうような、瞬時の、瞬間に消えてしまうプレーにたいして、非常に強い興奮があるんです。近代スポーツ競技という形式性のなかに囲い込まれてしま た今のサッカーというものを、もう少し違う場の、違う運動体として救い出したいっていうかな、そういう欲望がぼく自身の中南米の経験から生まれてきた。た とえばブラジルではサッカーというものは、人間によって生きられている生きられ方のようなものとしてあるわけで、スポーツ競技はそのごく一部でしかない。 ぼくの考える素晴らしいプレーヤーっていうのはどこかに不具性のようなものを抱え込んでるところがあって、それは何なのか、ということをずっと思ってたん です。音楽する身体ということを考えるときにも、ここには何かアナロジーがあるんではないか、ということをずっと思いながらこの悠治さんの文章を読んでた んですよ。

・集合性による音楽
高橋:そういうことについてはね、いろいろおもしろいことがあると思うんですけどね。例えば腰にダメージを受ける、しかし痛みが出てるのは別の場所で、こ れを治すのはさらにまた別の場所であるとか。整体なんかに行くと、そういうことがあります。それを楽器と手の例で言うとね、中国に古琴って今はいわれてい る、七弦琴がありますね。孔子が弾いていたというくらい古いものですけども、非常に小さい音で、人に聞かせるものというよりは、ひとりで弾くためか、せい ぜい、同好の士をね、2、3人集めて部屋の中で演奏する。テーブルに載せて弾くものなんですよ、椅子に座ってね。弾くときに、一番何に気をつけるかってい うと、まず、足を正しい場所に置く、っていうことなんですね。体全体が連携している。楽器に触れている手を動かすには、反対側の足の親指かもしれないし、 あるいは左側の腰かもしれないし、いずれにせよ手の先から遠いところから発しているひとつのエネルギーの流れがある。それを塞き止めないようにすれば、大 きなエネルギーが、ひとつの指の先端に現れてくる。ところが、この指だけで楽器をはじくなりすると、ここが動いているだけ、力でいくよりないわけですよ ね、だけど指はこんなに小さいものでしょう。どうしようもない。さて、どういうふうに体全体をコーディネートして、この指の先端にエネルギーを集中する かっていうと、ふつうは、伝統のなかで自然に身に付くしかないわけですが、それによらないで、なにが起こっているのかを理解するためにはね、指の運動をだ んだんゆっくりにしていく、そうすると、動きが小さくなればなるほど、他の部分の動きが見えてくる。そうすると、この先端の動きも正しくなってくる。その 後でその動きを速くやってもね、同じことではないわけですよ。体全体が動くようになっている。それが訓練と言うものですね。速くしていくことで訓練するの ではなくて、遅くしていく、小さくしていく。それこそ腰を痛めた時みたいに、ゆっくり動いて、どこをこうやると、痛みと痛みの間をすり抜けられるかってい うふうに、これがね、動きを理解するということなんですよ。別の技術というようなもの、不完全な、弱い、取るに足らないものから逃げないでね、そこで働 く。それからもうひとつはね、ひとりはひとりでなくて、何人もの人とつながっている、そのためには、ひとりひとりは完結してはいけないんですね。むしろ、 何かが出来ないということがたいせつになる。サッカーでもそうかもしれないけどね。マセダの音楽で、大勢の人が自発的に作り上げていく、そういうものは村 の共同体みたいなものがモデルとしてあるわけですが、ひとりひとりの人はひとつのことしかしていない、だけど、それが数十人集まると、非常に複雑なもの が、固定されないで流動している。
今福:集団であるひとつの動きのなかに入っていくときに作動しているのは非常に強い原理だと思うんです。ある意味では個人の能力を十全に発揮するという目 的以上に強く働いている原理でしょうね。そうするとそういう原理が強く出たときには、個人のある種の表現力っていうのが一見したところ弱くなったり、ある いは乱れたりというふうに見えることも多い。またサッカーの話になってしまうんですけど、フランス・ワールドカップのときに、決勝戦がフランスとブラジル だったんですけれども、その時のブラジルチームは非常に動きがぎこちなくて、特にエースストライカーであるロナウドの不調が決定的にブラジルの敗因で、あ る意味で3対0という王者ブラジルとしては情けない試合をしたんです。でみんなそういうふうに言ってたんですけど、ぼくは非常に感動して見てたんです、ブ ラジルの敗戦を。なぜなら本来もっとも身体能力が高いはずのロナウドが、さきほど言ったある種の不具性というものを、どうしようもなく見せてしまったんで すね、あの試合で。もちろん体調不良が実際にあったんです。それで注射かなんかを打って無理矢理出場してた。逆にそのことで、近代スポーツのイデオロギー のなかで本来このように動かなければならないという訓練を受けた身体性を一切裏切るような、混乱した脆弱な身体というのがそこに露出してしまった。しかも その不具性がブラジルチーム全員に伝染してしまっていたことがなによりも感動的でした。まあ、そのようにぼくには見えたんですね。つまりあの決勝戦におい て、ブラジルはもはや勝つというような原理ではなくて、ロナウドというエースストライカーが体現してしまったある種の不具性という、スポーツよりもっと根 元のところにある人間の運動原理の一端を抱え込んでしまい、その始末に戸惑いながら混沌としたままグラウンドを闇雲に走り回っていた・・・。だから普通の 人がいうようにブラジルは無様なサッカー、弱いサッカーをしたわけではなくて、ワールドカップの決勝戦という近代スポーツの競技的形式の頂点の場で、そう いう原型的な身体のありようをあらわにさらけ出してしまったブラジルチームのなかにこそ、なんというかぎりぎりの可能性というのかな、それが残されてるん ではないか。そのことがなんとも感動的だったんです。ここでの対話に関わるかどうかわからないけれども、身体というものがある表現に向けて使われていく原 理というものがある。サッカーにおいても、それは既に近代化された競技としてある方向性を持ったものとしてあるんだと思うんです。選手はそれに勿論対応し ながらトレーニングを受けて能力や技量を高めてゆく。けれどもそうした運動能力を通常発揮している人々のなかにも、あるときそうでない、より集合的でプリ ミティヴな身体原理によって自分の体が支配されてしまうというようこと、そういう契機がまだありうる。それはいま悠治さんがおっしゃったこととどこかで繋 がっている気がするんです。ある時に自分の体をそういう集団的なネットワークのなかにある別の力っていうか原理に明け渡していくということ。そしてそうい うところから作り出されていく音、あるいは音楽っていうのはものすごく違う構造、別の原理を持っているはずですよね。もうひとつのマセダの音をかけません か。

・日本という場所の不幸
高橋:うん。(CDプレイヤー不調)ふっふっ。サウンドシステムの不完全性を発揮してるわけだ(笑)。(音楽が流れる)“Music for Gong and Banboo”っていう、銅鑼と竹の音楽です。(音楽の中に女性の声が聞こえ始める)これね、2年ぐらい前に京都で初演した曲なんですね、この演奏は違う んだけど、その時はね、雅楽の竜笛があり、コントラファゴットがあり、それからサロンやグンデルというガムラン楽器があって、竹の楽器が入って、コーラス が今歌ったところはね、「よらですぎる藤沢寺の紅葉かな」っていう(笑)。
今福:楽器の編成は、基本的には同じなんですか。
高橋:これは同じです。多分、笛は違うと思うけど。竜笛じゃない。でまあ、ヨーロッパの楽器と、それからアジアの楽器、それも違う系列なんですよね。それ が一緒になって、それぞれの音でそれぞれのメロディーをやってるわけね。それでいて、不自然でなく、ただ調和しているわけではないけど、平和な感じがす る。これはね、ヨーロッパ音楽に欠けている(笑)最大のものかも知れない。
今福:それは、悠治さんのなかでは「アジア」というかたちで捕らえられているというふうにお感じなのか。それとも、西洋の音楽表現に対峙する別種の音楽原理がはたらいている場所ということで、アジアという地理的区分にこだわらず感じていらっしゃることなのか。
高橋:うん、それはね、ヨーロッパ対アジアみたいな図式じゃないと思いますよ。われわれがここにいて、周りにある物を使って表現するときに、ある種のモデ ルが日本のどこかにあるかもしれない、フィリピンだったら、村にあるかもしれない、そういうものが生きてる場所っていうのがあるから、まったく頭の中で考 えた社会組織とか音楽組織とか、そういうものでないことは確かなんですけどね。だけどそうだからっていってアジア的なものとしてそれを押し出すっていう意 味じゃあないですね。色々な異質なものがそのままでどうしたら理解し合えるか、ということが現代の大きな問題でしょう。国家がある、と別な国家と争う、民 族があると別の民族と争う、宗教があると別の宗教と争う、そういう具合になってしまうわけですよね。それをある種の普遍の中に統合するって事では解決はで きないんですよね。それではやっぱり、全部均質化していく、それでもって全部が平等っていうふうな具合にはいかない。それから、アジアの音楽をヨーロッパ に持っていくとかその逆とかね、そういうことでもいかないだろうし。まあ、みんな不完全なままで、ずれながら一緒にやってくところに、骨と骨のずれた間を 擦り抜けていくような(笑)、道があるかもしれない。ということですかね。
今福:ここにあるのは極端にローカライズされた部族音楽というものではないですね。いわゆる「部族音楽」とか「民族音楽」というかたちでジャンル化されて 聴かれてきたものは、あきらかに非西欧的、あるいは反西欧的な音楽性の文脈で受け取られ、そのことによって逆に西洋音楽が自らの限界を超出するための多分 に幻想的なインスピレーション源としてみなされてきました。けれどフィリピンという土地はアジアのなかでも特別にさまざまな力がその上を通過していったと ころで、もともと多部族的な島嶼の集合体であるところに、スペインが来て、アメリカが来て、日本が来てというような植民地主義的な力が複雑にはたらき、さ まざまな文化交通が生じた。そういうなかで、異質なものが民衆的でヴァナキュラーなレベルにおいて矛盾なく共存しているという特性が生まれてきましたよ ね。これはとても刺激的な形のひとつのように思える。唯一の原理や規範に従うことからすり抜けて、その時その時に偶然のように生起する混乱なき渾沌に身を 任せるというような。ところが日本のような場合は、西洋近代音楽という外生の規範を無批判に明治期に受け入れたわけですね。そして教育という「国民化」の 訓練場においてそれを徹底してドメスティケートしていく。一方でそれにたいする均衡の保証として純粋日本伝統音楽というもうひとつの幻想を対極につくっ て、その二者の非常に図式的な渡り合いのなかでしか音楽を創造したり受容したりする場が与えられなかった。そういう不幸があるような気がするんですよね。
高橋:でもね、日本の近代化っていうのはね、明治に始まったことじゃあないみたいですよ。やっぱり江戸ぐらいかもうそういう素質が十分にあった。全国統一 して、ある種の経済体制を持って、そしてすべてを上からコントロールしていく。だから江戸期の芸能っていうのは本当に、歌舞伎はこれやりなさい、能はこう しなさいっていう与えられた場所でやってきたわけですよね。きれいに整理されて、これはこっち向き、あれはこっち向き、商人はこれ、侍はあれ。明治時代に なって西洋をどう受け入れるかっていうのはね、やっぱりそういうことと無関係じゃないと思うんですね。江戸っていうものが、なんだかいいようにこの頃は言 われるけど(笑)、いろいろな面があるんですね。
今福:なるほど。ある意味で時代の権力が芸能や文化を巧みに援助しながら、文化的な活動の場の渾沌とした自発性をコントロールしてゆく。現代的に言えば文 化行政や企業メセナじゃないですけど、そういう組織的な力が巧みに民衆文化の操作をする。そういう状況が江戸にあったんだということかな。江戸礼賛の歴史 家は民衆文化が豊かに花開いた時代だということだけを言ってきたけれども、必ずしもそうではない……。
高橋:うん、だから両面あるということですよね。だからやっぱり日本の中で何かしようとするのは、非常に難しいと思うんですよ。それで今、日本の現代音楽 なんていう狭い場所でもね、クラシックっていうのも狭い場所だけどね、まあどこを見ても、非常に画一的でしょ。みんな同じことをやろうとしてるわけね。そ れで、それはまあある種のモデルがどこか外にあって、それをこう、いかに演じるか。ひとりいれば間に合うようなことをみんなで一斉にやっている、そんな感 じだからね。そういう意味では、一般に言って、日本の中で何か新しいことをやろうとするのは非常に難しいっていう感じはしてるんですね。そこへいくと、東 南アジアは非常に混沌としたところがある、はるかに多様な文化が狭いところにある、特に島のほうはね。で島は小さいし、開いているし、弱いって言えば弱い けれど、そういう中から出てくるもののほうがね、示唆する力は大きい気がするな。それで、はじめのコンサートの話にもどりますが、コンサートっていう場で 音楽をやるようになって。音楽が外になかなか出られない、ということもあるんだけれど、音楽をやるということが目的化してる、ということにも問題がある。 自分の音楽をやって人が来るということが、そのために生きてるみたいになっちゃうからね。人が集まって、そこで音楽をやるっていうのと逆転してるところ が、最初からあるんですよ。生活から離れた特別な場所を設定して、そこでバッハのような音楽をやってあげてる、みたいな感じになっちゃうわけよね。だから 音楽ってものには限界があるっていうことから始めないとだめじゃないか、という気もしてるんですね。水牛楽団は、タイのカラワンっていうグループの歌を日 本語に訳してやることから考えついた形だった。日本の政治運動とか労働運動のそれまでの組織は、80年代には壊滅していったわけだから、やることもそこで 終わってしまった。その後で、コンサートの世界でいろいろなことをやって、即興をやって、コンピューターやって 今ね、伝統楽器をやって、ピアノも弾いて るわけですよ。カラワンも解散した。解散したんだけど、5年にいっぺんぐらい集まってちょっとなんかやったりする。この前日本に来て、それをちょっと、南 林間のイーサン食堂っていうところの2階で20人ぐらい集まって聴いたんだけど、やっぱりこういうやり方はなかなかいいと思ったんですよ。それはさっきか ら言ってるような、反技術ということ、それから人が集まる場所に音楽があるっていうこと、それも音楽を聴くために来る人じゃなくて、周りにいる人たちって いうかな、大衆とか、百何万っていうのじゃなくて(笑)、周りにいる人たちの中でやっていくような、そういうことが、まだできるんではないかと思うんです ね。

・音楽家という職業
今福:何かしら与えられた場としてではなく、ものすごく自発的に自由に、誰が来ても不思議ではないような形で、ある「場所」が存在する、あるいはそのこと によって即興的に「場所」が生まれる、と言ってもいいのかもしれない。そうした時に、そこにたまたま音楽があったり、たまたま音楽家が出て来て演奏した り、ということですね。食べ物と音楽がおなじ親密さの位相にある・・・。いずれにしろ、アジアもそうですし、ぼくが知ってるラテンアメリカなんかでもそう なんですが、職業というものの社会的な含意や位置づけがまったく違うのではないか、という気がするんです。たとえば「音楽家」という職業がどういうふうに 人々の間に生きてるかといえば、まさにいま悠治さんが言われたような、人々が親密に集まってくるような場にふと現われてひとしきり密度の濃い音楽をやるよ うな人のことですよね。それがある意味で音楽家という職業の原意であって、たとえコンサートホールで演奏しても、レコードを出していても、彼ら自身の音楽 する自己意識の源泉はすべてそうした日常の場にある。音楽家という職業がその特殊能力による権威によって彼らを民衆から差異化するというのではなく、民衆 のなかに存在するための一つの生存様式がすなわち音楽家という職業である、といったらいいんでしょうか。ところがわれわれの制度化された社会のなかの職業 というものは、差異化し、弁別し、それぞれの領域においての権威づけを行うるための社会的指標のようなものですよね。そして今や日本における音楽家という のは、たとえば5日間で100万人動員できるとかできないとか、そういう形で価値づけられる顔の見えない、数字的なポピュラリティーのなかで生きている。 しかもその潜在的な動員可能性が、たとえば国家権力によって節操なく利用され、このあいだの即位10周年式典のような催しの時に、まさに人を集められると いうだけの理由のために、音楽家があっさりと皇室の行事に招待され、へらへらと出て行き、人々はその音楽家たちを見るために天皇の住み処へ寄り集まってい く。今や音楽はそういう動員可能性みたいな部分のみで意味づけられ、権力に利用されているわけです。これは、ある意味では音楽にとっての決定的な屈辱だと 思うんですよ。まあそこで、GLAYやSPEEDのやっていることを音楽と呼ぶ必要は無いといえば無いんですけど(笑)。
高橋:それはね、だけど、ある種の音楽を権力が利用するってことは言えるんですが、じゃあその音楽自体は何なのか。ミラン・クンデラが書いていたのを思い 出したんだけど、チェコのフサークが大統領がポップ歌手を記念式典に呼ぶ話、やっぱり、ポピュラリティーを持つということは、そういう人に呼ばれなくって も、そこにもう権力構造が在る、そういう自覚が無いのは、ミュージシャンですね(笑)。
今福:資本主義社会のなかで経済化された「ミュージシャン」という職業意識がまさにその自覚をなくさせている。だから音楽家というふうにして社会の方から 職業化されてしまった人たちは、すでに自発的に人々のなかに音楽家でいられる可能性を摘まれてしまった人々かもしれない。これはまあ学者なんかもそうかも しれないし、ある意味で、ミュージシャンに限ったことではないですけれど(笑)・・・。
高橋:えーと……これっていつまでやるの?(場内笑)
吉田:(笑)一応時間的にはそろそろです。
高橋:じゃあカラワンという歌を、聴いたことないでしょうから、かけてみますか。カラワンていうのはキャラバンていう意味なんです。貧民のキャラバンとい うようなことで。これはそのカラワンというグループのやっている、「カラワン」という歌なんです。(カセットテープが再生される。カラワンの音楽がまず、 笛の音として現れる。)これはサンポーニャって笛でね。
今福:そうですね。
高橋:これはね、水牛楽団の笛の人があげたんですよ。今もまだ使ってる。(しばし聞き入る)これは多分79年ごろの録音かな。水牛楽団で、カラワンの歌を いくつか選んでカセットにしたんですよ。それから、20年経つかな、この前また聞いてみてね、ちっとも上手になってなかったのには感動したな(笑)。でも ここにはある種の気持ちよさと同時に、危うさがあるんだよね。探りながら行くっていう。
今福:そういう意味では、技術的完成みたいなものへの強迫観念は最初から放棄されているんでしょうね。それに、カラワンはキャラバンなんですよね、非常に……移動というか、放浪性を感じますね。このグループのメンバーは実際に、定住的ではないわけですか。
高橋:タイに行ったときに一度ついて歩いたことがあったんだけどね、ミニバスみたいなもので全国行くわけですよ。だからキャラバンなのね。今はもうやって ないんだけど。それぞれ別々のところにいて、別々なことはやってるけど、定職というようなものもない。それでやってけるからまあ、いいんだよね(笑)。 (またしばらく音楽に耳を済ます)昔ね、ハン・スーインという人の小説で、シアヌーク時代のカンボジアの話があってね。みんなが田植えしていて、シアヌー クがヘリコプターでやってきて、一株植えて去っていく(笑)。みんなが一株ずつ植えている、その時に、畦道のほうで、音楽やってるのね。そういうものなん ですよ、ミュージシャンていうのは。田植えに加わったりはしない、多分定住もしていない、だけど、そういう時に来てね。人は田植えしている、自分たちは いっしょに音楽をやってる。
今福:もう時間ですけど、そういう、なんていうかな、音楽なり音楽家という職業なりあるいは音楽という行為が、ある社会のなかでひとつの公共的な意味とか 役割をちゃんと持ちながらね、しかし非常に自然な形で存在していくような可能性を、この日本という場で悠治さんは何とか少しでも作り出したい、と考えて らっしゃる?
高橋:うーん。作り出したいというかね……
今福:あるいはそれに近づく、そうして色んな場を作り出そうと試みる、一通りじゃなくても……それにきっと一通りではないだろうし、一通りである必要も無い・・・。
高橋:まあ、そうね。別にそういう使命感はないし、どうしてもこれをやらなきゃいけないってことはない。音楽なんていうのは、ひとつの行為に過ぎないんだ から。それでも、できることはある。そこに、従うべきモデルとかはありえない。だけど、これがあるんだったら、もうちょっと違うあれもありうる、そういう 風にしていけばいいわけですね。伝統楽器を使っていても、どういうふうに人が集まって音楽をするか、どういうふうに楽器を扱うか、体との関係はどうなって いるか、それから、可能なら、どういう場所で、どんな風に音楽をやるか、……水牛楽団でやってた頃のようにストレートな形ではないけど、現実社会の問題と 無関係に音楽は出来ない。ある種のかかわりね、そういうファクターがもうちょっとあったほうがいいかなっていう気もするね。
平井:どうもありがとうございました。やっているといつまでも長く出来てしまいますので教室の関係とみなさんのお腹の具合もあわせまして、この辺で終了と いう形にさせていただきます。今日はどうもありがとうございました。(会場が拍手に包まれる。ひとりひとりの意志であると同時に全体の意志として手と手と いう打楽器がそれぞれに打ち鳴らされる。しばらく鳴り止まない。)



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