凍った影だけ 鵞鳥はいない(2001)
高橋悠治


         どこから来たかではない
    そこには二度と還れないから
            どこへ行くかでもない
     なにかをめざすことはもうないから
          いまいる場所が問題だ
  それがやっとわかってきた

   二○○一年二月
ヤニス・クセナキスが死んだ
            かすかにのこっていた
    ヨーロッパとの縁も これで切れてしまった
       一九六○年には勅使河原宏のはじめた草月アートセンターがあった
そこには武満徹や秋山邦晴がいた
  クセナキスと
        またケージともそこではじめて会った
      いまは だれも生きていない
    柴田南雄も死んだ
           音楽をつくるときに意識していた人たち
     ちかづくにせよ とおざかるにせよ
    航路の支えだった友人たちはもういない

         一九九○年から六年間 三味線を習っていた
    おなじころに習いはじめた中国武術と照らし合わせると
   身体から身体への伝承はどうするのか が
        すこしずつ見えてくる
            伝統をまなびながら
        焦点は伝統にはない
          訓練のプロセスは
       手をどのようにうごかすか から出発して
         手がどのようにうごいているかを感じることに向かっていく
伝統は技術の洗練に向かう歴史的な過程だが
    手の訓練は 伝統を逆方向に通過して
反技術 技術がおきざりにした不確実さをみつめる

    手のあるしぐさが 伝統のなかでくりかえされ
           みがかれ 型として ある意味をもつまでになると
   それは かぎられたひとびとのあいだの表現の道具になっていく
        そのしぐさの意味を理解するというのは
      手を見ないで 手の象徴する意味を見ること
    それが文化とよばれるなら
そこには権力に似た差別のまなざしがある

            意味ではなく うごいている手そのものを見ることで
         文化はのりこえられる
      そこはもう権力のはたらかない場
身体から身体への直接的伝承の場だ
         ロウソクからロウソクへ火を移すとき
 それはおなじ炎ではなく ちがう炎でもない
            そのように
   身体の内側のうごきは
  ためらい ゆれうごき たえず意味をうち破りながら
        ちがう身体につたえられる

    手を見るといういいかたも
      ほんとうは 正確ではない
         手を見れば 手にとらわれて見えなくなる
手は もはや手ではない
 身体の内側をうごく風が 手を透かして見える
           そのためには
手を見てはいけない
         手のかたちをした 手をつつむ空間を見る
さらに 目にうつるすべてを見る
   川に秋風が立てば 遠い町に落ち葉が満ちる
     というが そのようにして
  手のうごきは
        身体と身体をへだてる無限の空間 ゼノンの矢は飛ぶ
    を越えて 直接つたわってくる

この時代はたまたま
      いくつかの社会主義国家が崩壊しただけではなく
        予想のつかない社会の変化に疲れたひとびとが
  ナショナリズムや宗教のなかにとじこもり
        争いながら ますます混乱をふかめる
 そういう時だった
    道はない それでも進まなければならない
            そんなかたい首をもった人たちには
        伝統的なものに関心をもつだけでうたがわれてしまう
  伝統に回帰するよりは
          未完の近代に回帰しようという
安全な道 非難をまねかない道をえらんだ人たちがいる
    イデオロギーへの郷愁はやむことがない
   われ思う ゆえにわれあり
  思想が存在の理由になるという
影のような近代にしがみつき
         思想の名によって争いつつ生きていく
  それよりは
    思いもなく 存在もない
           回帰もなく 投企もない
      ひろびろとした空間
         創造以前の時間
           そよ風のように かすかに息づくだけで
明滅する色と香りは 経験となって沈殿することも
        くりかえされることもない
 散乱して 薄れていきながら
             大気を淡く染めて
       そうだ 人間は息にすぎない
      息がなければ 重い身体は泥のように転がる
 ある朝 戸をあけたら 死体があった
       呼吸していたときは その身体は名前をもつ人間だった
   幻想がまださめない悲しみがうすらぐと
 いままで見ていたのは身体ではなかった
  身体のスクリーンを透かして 裏側に流れる息だけを見ていたのだと知る
     だれでもない だれのものでもない息を
          人間は それぞれの墓場を運んでいる
           というのは このことか
そしてこの身体も ある日
  息をしなくなり 泥人形のように崩れていくのだろう
      それでも なにごともなかったようにつづいていく この世界
    息はのがれていく かなたの空に
乾いた筆が 線の中心につくりだす空白
   水蒸気はやがて晴れて 白の領域がひろがる
      炎の極であり 灰でもある白
            白 それが伝承されるものであり 伝承の場でもある
           墨が澄む その状態は清とよばれる

(批評空間第III期第1号)



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