「ゴルトベルク変奏曲」を聴く 
高橋悠治 

 

歌とさまざまな変奏であるこの曲集について いくつかの点を確認しておこう 

多くの文化で  歌と踊りは女に 楽器は男に属している と言えるならば そこには身体と精神の分裂 感情と技術の分離がある 変奏曲は 歌の感情を楽器の技術によって 抽象論理に変えるもの 西洋音楽は 複数の男の声を一つの構成された響に練り上げた その技術が対位法と呼ばれ 教会の石の建築空間の反響を背景にしてい た 声を離れ 石を離れた音楽の響は 5度音程というルネサンスの発見から発展した和声の運動によって統合される 

これがバッハの 時代だった 鍵盤楽器は 低音と背景色を供給する通奏楽器から 作曲家が音楽を構想する手段となり 独立した独奏楽器となった そのために指の使い方も変 わり 均質な音を出せるように奏法も変わっていった その楽器を操りながら バッハは「平均律クラフィア曲集」「ゴルトベルク変奏曲」「フーガの技法」を 書き 世俗音楽の百科全書をめざした まだ実際の平均律もなく ピアノという楽器も完成されていない だが 音楽はすでに啓蒙主義による 世界の把握を試 みていた それは17世紀からはじまる植民地主義と奴隷労働にささえられた欲望の文明のひとつの表現でもあった 世界は いまだにこの普遍主義の押しつけ からの出口を見つけられないでいる 

紙の上の作曲術の規範にすぎなかった「ゴルトベルク変奏曲」は 20世紀後半になって コン サートレパートリーになった その流れは北アメリカからヨーロッパと日本にひろがった 新自由主義市場経済の流れと同時なのは偶然だろうか 現在では毎年 のように この曲の新しい演奏のCDが消費される それぞれが個性的なスタイルや正統性や技術を売っているが 話題になるのは 次のCDが出るまでの短い 期間にすぎない 

さて その競争に加わってどうするのだ 「音楽の父」となったバッハの父権的権威に抵抗して 音楽をその時代のパ ラドックスの環境にかえしてやる 均等な音符の流れで縫い取られた和声のしっかりした足取りをゆるめて 統合と分岐とのあやういバランスの内部に息づく自 由なリズムをみつけ 組み込まれた小さなフレーズのひとつひとつを 固定されない音色のあそびにひらいていく といっても スタイルの正統性にたやすく組 み込まれるような表面の装飾や即興ではなく 作曲と楽譜の一方的な支配から 多層空間と多次元の時間の出会う対話の場に変えるこころみ 

CD も一回のこころみの仮の姿 それを経て演奏のプロセスはさらに遠くからバッハを観ようとする もともとは鍵盤演奏の教育のために出版された音楽を バロッ クの語源でもあるゆがんだ真珠のばらばらな集まりとみなして はじめて触れた音のようにして未知の音楽をさぐるのが 毎回の演奏であり その鏡から乱反射 する世界を発見するのが 音楽を聴くことの意味でもあるだろう 

と言ったところで これも事実の半分にすぎない あとの半分は きままな指についていく遍歴の冒険 ちがう世紀ちがう文化の死者の世界にいるバッハとの対話から織りなす現在の東アジア地域の物語  

(avex cd のために)



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