『砂漠の教室線――イスラエル通信』 藤本和子

目次    


砂漠の教室 I

砂漠の教室 II

イスラエル・スケッチI
 ベドウィンの胡瓜畑
 銀行で
 雨の兵士
 スバル
 乗り合いタクシーの中で
 鋼鉄《はがね》の思想


ヨセフの娘たち

イスラエル・スケッチII
 影の住む部屋
 
悪夢のシュニツェル
 オリエントの舌

   
――言語としての料理
 オリエントの舌

   
――ハイファの台所
 あかつきのハデラ病院
 知らない指
 おれさまのバス
 建設班長
 山岳の村


なぜヘブライ語だったのか

    イスラエル・スケッチII

 悪夢のシュミツェル

 砂漠の教室でたえず食べさせられたものの筆頭は、なんといっても、七面鳥の胸肉を仔牛の切身のごとくにそぎ切りにしたものを材料にして作ったシュニツェルだ。ウィーン風シュニツェルならぬ、イスラエル風シュニツェルで、あれいらい、シュニツェルの「シュ」という音を聞いただけで気分が悪くなるのだ。なぜといって、そこで食べさせられたシュニツェルのころもがものすごく油っこくて、その油が古い機械油かと思うような代物だったからだ。
 わたしたちはシュニツェルのころもをはがして、裸になった七面鳥の白い肉を食べたものだ。
 朝食はキブツの朝食の伝統の流れをくむタイプで、太い千切りや大きな賽の目や厚い輪切りに切った生野菜がやたらに出る。蕪なんか短冊に切って、バリバリ食べてしまう。固い固いゆで卵とボールに山盛りのサワークリーム。というと、いかにも健康そうな食事。そう、健康ではあるかもしれないが、毎朝馬のように生人参を食べているうちにあきてしまう。でも、それはそれでいい。
 問題はシュニツェルだ。いや、シュニツェルに象徴されている精神だ。
 シュニツェルとはそもそも東ヨーロッパからきたユダヤ人が持ってきたものだ。ウィーン風シュニツェル、という。ウィーンは正確には西ヨーロッパではなく東ヨーロッパだ。移民してきた人々は家財道具を全部もってきた場合もあるが、避難民としてやってきた人々はそれこそ着のみ着のまま命からがらやってきた。だが、無形文化としての食生活は彼らのあとを追ってやはりイスラエルにやってきたのだ。
 砂漠の教室の生徒たちは、
「これがイスラエルの料理というものであろうか?」
と絶望に沈んだ声でいったものだ。
 ちがう、あのシュニツェルはシュテテルの、ゲットーの無形文化なのだ。
 イスラエルの料理、とは中近東の料理であろう、とわたしは期待していた。長い伝統に輝く、みがきのかかった風味! だから、五カ月間、砂漠の教室で東ヨーロッパの料理を食べることになったことには失望した。
 シュニツェルにこだわり、シュニツェルにしがみつく気持はわからないわけではない。仔牛でなく七面鳥の肉で妥協したって、ふるさとの味だ。そう簡単にすてられるか。ただ、中近東が提供している食生活の思想の奥深さとゆたかさをじゅうぶんに取り入れていないヨーロッパ系のイスラエル人の態度そのものに、ヨーロッパにしがみつく心情があらわれていると思う。ユダヤ主義が生まれたのも中近東だった。もともとオリエント出身の思想である。西洋にでなく、中近東に位置しているイスラエルが敵意にみちみちているアラブ諸国との折り合いをつけるには、その事実との折り合いをつけることが緊急の課題のように思える。イスラエルのユダヤ人の人口の過半数がすでに非ヨーロッパ系のオリエンタルと通称される人々であることを思えば、その宿題は外交問題と取り組むための手続きにとどまらず、イスラエルが内部矛盾としてかかえている問題と取り組む手続きの一部でもあるはずだ。シュニツェルをヨーロッパ系のユダヤ人から奪おうとは思わない。日本人だってインスタントみそ汁とカップヌードルと梅干を旅行鞄につめて世界のどこへでも旅行する。「江戸むらさき」まで持ち歩く連中もいる。だから、シュニツェルのことだって気持はわかる。でも、まだこの世の食生活においてシュニツェルが一番だと考えているような思想は、ひろびろと地平を広げてゆくことを知らず貧しい。とりわけ、シュニツェルの文明度と彼らが無視している中近東の食生活の文明度との差を考えれば。
 と、ここまでホイホイ書いたが、よく考えてみると、あの砂漠の教室のシュニツェルについては少しおかしいところがある。あれは東ヨーロッパのゲットーのシュニツェルだ、などと勝手なことをいったが、きっとそうではない。ゲットーが崩壊してユダヤ人たちはれっきとした都市生活者になったのだった。彼らがおいしいシュニツェルの作りかたを知らなかったはずはない。砂漠の教室の食道のコックは誰だったか? 迷信深いイエメン系のおばさんだった。ウェイターたちは? ほとんどがモロッコ系の、スラムから通ってくる黒い髪、黒い瞳、黒い皮膚の青年たちだった。あのホテル全体を動かしていたのがオリエンタル系の人々だった。彼らは「ホテル」について思想を持っているわけではない。それは西洋人が持ち込んできたものだ。「ホテル」ではどのような食事を出すべきか? 西洋の食事だ! シュニツェルだ! だから、コックの彼女はシュニツェルをせっせと作ったのだ。東洋人が作った西洋料理だ。なんだかよくわからないが、西洋人がやるのを真似て作っているのだ。(ああ、彼女にとうがらしのサラダやはっかの葉の入ったひき割り麦のサラダを作ってもらったら!)
 だから、あの貶められたシュニツェルが体現しているのは、単純に、西洋勢力の地平の貧しさ、とばかりもいえないのだ。むしろ、それはイスラエルの混乱を、トンネルの終りの光も容易に見えてこない深い混乱をあらわしているのかもしれない。


河出書房新社 1978年11月25日発行




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