『ロベルト・シューマン』 高橋悠治

目次    


一歩後退二歩前進


シューマン論の計画

現状分析の意味

見とり図

転倒の方法 その一

芸術運動と機関誌 一八三〇年

芸術運動 一九七七年

雑誌メディアの批判

転倒の方法 その二

批評についてのおしえ
(ダビデ同盟偽書)


批評家の誕生

老キャプテン

訳者の注

知的貴族主義

クラインのつぼ

フロレスタンとクレールヒェン

墨テキにこたえて

むすび

    知的貴族主義


「一八三〇年、西欧に人民の声があがった時、ショパンはきたえあげた方法をもち、自分の力を充分に知った上で、勇敢に立ちあがった。多くの若者がこの時を待っていた。しかしショパンが最初に城壁によじのぼった。そのうしろにはひきょうな反動や、ちっぽけな俗物どもがねむりこけていた。」

政治と芸術の一致が、芸術の変革に力をかす瞬間がある。ショパンより、これを書いたシューマンの方が、この力を自覚し、方法にたかめようとした。音とことばを対決させ、その矛盾の間を往復する運動のなかで、この自覚はうまれた。それが批評の役割だった。

「このことや、時代や条件の有利な作用以外にも、運命はショパンに独特で明確な民族性――ポーランドをあたえ、かれの場合をさらに個人的でおもしろいものにした。この民族が喪服を着てさまよう姿は、かんがえぶかい芸術家の場合たいへん魅力的に見える。中立のドイツがあまりあたたかくむかえなかったのはかれにはよかった。守護神はかれをまっすぐな世界の都の一つにつれてゆき、そこで自由に詩をつくり、怒ることもできるようにした。北の強大な専制君主がショパンのマズルカの単純なメロディーにも危険な敵がひそむことを知っていたら、音楽を禁止したことだろう。ショパンの作品は花にかくれた大砲だ。」

ここには「中立」のまやかしがある。ポーランドはショパンの作品の個人的な魅力のおかげでゆるされる。一方では音楽が花にかくれた大砲であることをみとめ、他方ではポーランドの民族性を偶然の条件としかみなさない。

「かれの出身や、かれの祖国の運命は、かれの長所と短所を説明する。品位、熱狂、冷静、高貴、あたたかい感情について語るときは、かれのことをかんがえる。だが、異様さ、病的なもの、ときには激昂や憎悪が問題になるときも、かれのことをかんがえないではいられない。
 ショパンの初期作品の多くは、尖鋭な民族性のこのしるしをおびていた。」

抑圧された民族を異常な、病的なものとし、その怒りやにくしみを短所とする差別の眼だ。

「しかし、芸術はそれ以上をもとめる。コスモポリタンは、ふるさとの土の小さな利益を犠牲にしなければならない。ショパンの最近の作品は特殊なザルマチア的特徴をうしないはじめ、神のようなギリシャ人が発明し、ちがう道を通ってモーツァルトに再発見される、あの普遍的な理想に、いくらか近づいた。
 いくらかと言ったのは、出身をまったく否認することはできもしないし、してはならないからだ。しかし、それから遠ざかるほど、一般の芸術界での成果も大きくなるだろう。」

ポーランド的なものは小さく、モーツァルトのようにドイツ民族に由来するものは普遍的理想とされる。規準としての「ギリシャ」は、古典博物館のギリシャ、どうにでも解釈できる色あせたヨーロッパの共通の祖先であるギリシャにすぎない。

ポーランド人はドイツ人、あるいはフランス人に同化することによって、コスモポリタンになれる。しかし、出身地のシッポもすこしはのこしておけ、他人から見わけがつくように。

「ショパンは、芸術の一般的改革に対して、芸術の進歩は芸術家による知的貴族主義の形成によってのみ達成できる、というかんがえ方をもたらした。」

シューマンの進歩性を一面的にうけとるわけにはいかない。俗物とたたかうダビデ同盟員自身の内部にも、俗物はひそんでいた。精神の貴族を自認する芸術家の姿勢がそれだ。芸術の革命を内側からうらぎるブルジョワの成り上り者の美学、それは差別にもとづいた普遍的価値を追求する。



『ロベルト・シューマン』(青土社 1978年6月5日初版発行)より




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