水牛だより

2002年12月1日

「水牛のように」を12月号に更新しました。
なぜだか病気のはなしが多い月。こういうシンクロはよくあることですが、いつも不思議な気がします。佐藤真紀さんには原稿だけでなく、こどもの自画像も1枚だけ送ってもらいました。9歳のGhema Sababさんの絵をみていると、こどもは平和の担い手なのだと実感できると思います。こうしたちいさなこころみには、あるとき世界をかえるきっかけがひそんでいるかもしれないのです。ジャワの伝統舞踊については、ブドヨ、スリンピ、などことばとしては知っていましたが、こうしてかんたんできちんとした基礎知識があると、見るときのおもしろさが違ってきます。

「水牛通信電子化計画」は1987年3月号を公開しました。
デイヴィッド・グッドマンさんはこの号の中で、18歳になった息子のカイくんにあてててがみを書いていますが、その日付は未来の2001年10月になっています。当時はずいぶん先のことと思っていたのに、ふと気がつくと、現実はいつの間にかそのときを追い越していたのでした。カイくんはすでに大学生です。

「水牛の本棚」には藤本和子『砂漠の教室』の続きです。ベドウィンの胡瓜畑はいまもおなじなのかしら……、きっとおなじままではないでしょうね。

「可不可」制作ノートは高橋の病気の続き(?)です。お見舞いのメールをたくさんいただきました。ありがとうございました。病気の性質上、治療には時間がかかりますが、順調に回復していますので、ご安心ください。病気を体験したあとの可不可がどうなるか、来月あたりからあきらかになっていくのではないかと思います。

近くのおおきな公園を自転車でとおると、おもしろい光景に出会います。おとなもこどもも犬もみんな走っている。とくに週末は繁華街のにぎわいのようにたくさんの走るひとたち。ただ暮らしているだけではエネルギーを発散できないのでしょうか。たくさんの犬たちも鎖につながれ、衣服を着せられ、はじめて会ったほかの犬に興奮しています。なんだかへんです。わたしが通った高校にはクロという真っ黒な犬が住み着いていて、彼女は学校の敷地内を自分の場所と決め、自由に生きていました。気がむけば授業や職員会議にも出席していました。途中で出ていくことがあると、その授業や会議はクロも見放すほどつまらないという烙印をおされたように感じる先生もいたのです。文化祭のときにはリボンをつけて受付を担当したことがあり、死んだときは学校葬がとりおこなわれたと聞きました。……あれ、公園の犬たちより、クロのほうがへんかな。

それではまた!(八巻美恵 suigyu@collecta.co.jp)

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2002年11月1日

「水牛のように」を11月号に更新しました。
LUNA CATさんの報告にあるように、きょう青空文庫が新しく生まれ変わります。変革の作業にはほとんど貢献できなかったけれど、当事者のひとりとしてはよくぞここまで来たという感慨があります。浜野さんの「貧者の出版」で触れられている「電子ルリユール教室」ともども、ぜひごらんください。こういうことができるのだもの、日本で貧者でいることは悪くない生きかただと思います。
杉山さんはたいへんな一ヶ月だったのですね。
今月初登場の冨岡三智さんからは「水牛の本棚」のサルドノの文章の日本語訳とジャワ語の日本語表記についてご意見をいただきました。これから訂正作業をはじめます。インドネシアのソロでジャワ舞踊をまなんでいるときき、ぜひと原稿をおねがいしました。水牛の窓がもうひとつジャワに開いたことになります。ジャワのガムランをすこしだけかじったおかげで、ダンスのこともおもしろく読めて、うれしくなりました。

「水牛通信電子化計画」は1987年2月号を公開しました。

「水牛の本棚」には藤本和子『砂漠の教室』の続きです。

「可不可」制作ノートは高橋の病気のお知らせになってしまいました。

「云々」の江村夏樹さんのピアノ独奏会があります。タイトルは「舞踏」
ショパン、ストラヴィンスキー、コープランド、バルトーク、江村夏樹、新垣隆の舞踏音楽をあつめたプログラムです。11月7日(木)7時から、代々木上原ムジカーザ(03-5454-0054)で。前売り2500円、当日3000円。予約は太鼓堂(電話048-688-1102、Eメール taikodo@wild.inteq.or.jp)までどうぞ。

それではまた!(八巻美恵 suigyu@collecta.co.jp)

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2002年10月1日

「水牛のように」を10月号に更新しました。
9月18日は「サブラシャティーラから20年、そしてパレスチナの今」にでかけました。難民キャンプのこどもを撮った映画「夢と恐怖の狭間で」のなかで、こどもたちはよく笑い、よく歌い、よく踊っていました。インタビューにこたえて話しているうちに泣きだしてしまうようなきびしい環境では、笑いや歌や踊りが必要なのだと思います。2001年に作られたこの映画では14歳だったモナ・ザルーラの詩を。カステラ楽団はできたてのバンドで、まだすこしぎくしゃくしていたけれど、生きるための歌がそこにはありました。長く続けてほしいと思います。佐藤真紀さんは集まりのあとすぐにイラクへ向かい、バクダッドから短い原稿がファックスで届きました。バクダッドのホテルではインターネットもままならないということでしょう。支援活動もときには疲労と絶望におしつぶされそうになって、そういうときは逆にこどもたちの明るさに元気づけられると佐藤さんは言うのでした。

今月もあたらしいCDをふたつ販売します。
『ダヤン』はチベットの歌。先月結婚パーティーの報告でも触れられていたチベットのTIPA(Tibetan Institute of Performing Arts)の演奏です。チベット人のケルサンさんが日本で製作したものです。これもやはりケルサンさんの「生きるための歌」だと思います。よく通る声は山で生きるひとの声です。
『from the orient』はヴァイオリンの鈴木理恵子さんの最新アルバム。タイトル通り、アジアの曲が並んでいます。

「水牛通信電子化計画」は無事にのろのろとすすんでいます。今月も藤本和子さんの「ヘンリーの運勢判断せんべい」があります。わたしはこの中のみじかい「夢」というのがとても好き。藤本さんが見た夢をわたしも見ているようで。カラワンのスラチャイの書いたものもあります。20年前の記事を読んで、経済発展を経験したタイでも、カラワンの生きかたは変わっていないことをあらためて感じました。やはり彼らは貧民のキャラバンでありつづけ、小ぎれいになったりなんかしないのです。尊敬してしまう。

「水牛の本棚」には2つ。
シンガポールの演出家オン・ケンセンの方法論をめぐるインタビューの2本目「Journey of Opennness」と、藤本和子『砂漠の教室』の続きです。

「可不可」制作ノートはだんだん具体的な話になってきました。

それではまた!(八巻美恵 suigyu@collecta.co.jp)

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2002年9月1日

8月につづいて、今月も新しいCDを発売しました。江村夏樹作品集「云々」です。江村さんにとってははじめてのCD。ちょっと説明しがたい音楽です。ぜひ聞いてください。

「水牛のように」を9月号に更新しました。
浜野智さんとは青空文庫で小熊秀雄の全作品を公開するプロジェクトをいっしょにおこなっています。同時に、浜野さんは青空文庫のサブサイト「ちへいせん」の編集長であり、「楽」の編集長でもあります。水牛にぴったりのタイトル、硬派の「貧者の出版」は3回連載を予定。青空文庫本体はたくさんのひとに利用されるサイトに成長しました。運営や作品を入力・校正するひとたちの肉声をすこし続けて載せていきたいとかんがえています。
9月18日には佐藤真紀さんたちのコンサート『サブラシャティーラから20年、そしてパレスチナの今』に参加しましょう。佐藤真紀さんはカステラ楽団のメンバーだとわたしはにらんでいます。
加世田光子さんの結婚パーティーにはわたしもお祝いにいきました。国際結婚とはいっても、相手のチベット人のケルサンさんは無国籍です。ふたりの結婚は個人的なものではあるけれど、日本とチベットをつなぐものという側面もやはりあります。ケルサンさんが不安なくいられる日本でありたいと思います。

水牛で三度目の「可不可」を主催することになったので、 「可不可」制作ノートをつくりました。上演は来年の6月ですが、準備はすでにはじまっています。上演にこぎつけるまでの間にはいろいろなことがあるでしょう。それらを報告し、ときには出演予定者のひとたちにも書いてもらおうと思っています。上演されるものは経過の総体ですからね。

「水牛の本棚」には3つ。
シンガポールの演出家オン・ケンセンの「Search for Hamlet(ハムレットをもとめて)」。ハムレットの城といわれるデンマークのクロンボルグ城で、アジア人とヨーロッパ人の俳優や舞踊家によるハムレットのいないハムレット劇を演出、そのインタビューです。
西洋音楽の教育を受けた韓国生まれでアメリカに住む作曲家Hyo-shin Naの「A Composer's Travel Journal」。韓国伝統音楽を再発見し、パンソリ歌手の家に住み込みで修業するまでの記録です。
藤本和子『砂漠の教室』は1978年に出版されたもの。今月から少しづつ公開していきます。まずは複雑に入り組んだ中東の文化の性格と生活を反映している中東料理についての章「オリエントの舌」から。さまざまなサラダ、シチュー、スープ、串焼き、トルコ・コーヒーなどの作り方つきです。

『砂漠の教室』を公開しはじめる記念に、「水牛通信電子化計画」は一冊まるごと藤本和子さんの特集号を公開しました。こんなふうにいつもうまくいくとは限りませんが、できるだけ「今」と関連づけて公開していきたいとかんがえてはいるのです。

暑い夏でしたね。と、まだ過去形にはできないきょうの暑さ。夏は南の国のコットンだけを着て過ごしました。タイやインドネシアやインドの綿とアロハシャツ。とくにタイのコットンはすずしくて。着ているときはしっかりしているのに、洗うために水に入れるととてもやわらかく小さくなるし、乾くのもはやい。暑いときには暑いところのものを着るのが理にかなっていると実感した猛暑の夏でした。と、まだ過去形にするには早い……、御喜美江さんのあせもは直ったかしら。

それではまた!(八巻美恵 suigyu@collecta.co.jp)


2002年8月1日

先月お知らせしたように、矢川澄子さんの自作朗読のCD「ありうべきアリス」を本日から発売します。矢川さんの声の遺作、水牛の4枚目のCDです。
収録作品や価格など、詳しいことは「ありうべきアリス」のページでごらんください。このページから直接お求めいただけるようになっています。

「水牛のように」を8月号に更新しました。
LUNA CATさんは広島のひと、そして青空文庫のひと。8月6日には原民喜の作品がほとんど読めるようになります。こういうプロジェクトも青空文庫の活動の楽しみのひとつです。(わたしも小熊秀雄の全作品を公開するプロジェクトにかかわっています。)「アンマンは暑く、人工的な町で、貧富の差が顕著です。」という佐藤真紀さん、暑さにまけないでね。今月でふたつの連載がおわります。荘司和子さん訳の「モンコン・ウトックのCDブックから」と高橋悠治さんの「書きかけのノート」のふたつです。連載していたものがおわり、ということで、ふたりとも来月からは別のかたちでお目見えします。

「水牛通信電子化計画」は今月も1冊だけ。入力が終わっているファイルはたくさんたまっているので、いつまでもこんなペースを続けるつもりではないのですが……、期せずしてスローライフになってしまっているのでした。

「水牛の本棚」には小沼純一さんの詩集『いと、はじまりの』を。これで小沼さんがこれまで出版した3冊の詩集がすべてそろいました。いまは詩を書かない小沼さんの詩のすべてが本棚に収まったことになります。

コンサートのお知らせをひとつ
西アフリカ、マリのシンガー・ソングライター、ロキア・トラオレのライブがあります。8月26日(月)AKASAKA BLITZで19時から(開場は18時)。ゴニ、コラ、バラフォンなど、マリの伝統的な楽器とともにかなでられる歌。CDで聞くロキアの声はすこしざらっとしていて、アフリカの女のひと以外には持ちえないもののように感じられます。問い合わせやチケットのお求めはnaganawa@conversation.co.jpまでメールでどうぞ。チケットは少し割引になるそうです。

水牛で作っているCDは大量に売れるというものではありません。そのかわり、聞きたいひとがひとりでもいるかぎり、絶版にはしない、少部数ずつ増刷を重ねられるシステムをなんとか保っていきたいと思って始めたのでした。矢川さんの遺作を出したことで、そうやって出し続けていく責任を強く感じています。
ことしの水牛のCDのもう一枚は江村夏樹さんの「云々」。9月1日に発売します。制作担当の三橋さんから前宣伝を以下にすこし。

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最初に江村夏樹のコンサートに行った時、その佇まいに強烈な印象を受けた。佇まいとは江村夏樹本人であり、音楽それ自体でもある。音楽に関してはどこかシュールだが人なつっこいところもあり、とらえどころがない。そんな江村夏樹の音楽をたくさんの人に紹介できないかと思って、計画したのが水牛の江村夏樹CD化計画。約1年かけて準備してきた江村夏樹のCDがようやく完成に近づいたので発売に先立って報告まで。
タイトルは「云々」、収録された曲のタイトルから取った。CDはそのコンセプトについてさまざまな話し合いをし、メールのやりとりをもったが、後は江村夏樹に「自己紹介を」ということで、曲の選択、配置、曲間のタイミング等をやってもらった。できあがった「云々」はいかにも江村夏樹という人物の佇まいを感じることができる、少しひねくれたおかしみ溢れるアルバムとなった。
曲は声の作品を裁断してプロムナードとしてばらまき、そこに電子キーボードによる作品、室内楽作品等を組み合わせた全20曲。脳味噌に土足で入ってきてへばりつく江村夏樹、空間をこじ開けようとする江村夏樹、悪意に満ちたユーモアの江村夏樹など、いろんな江村夏樹の顔がそこにある。「あの作曲家はこんなやつ」、というイメージはここでは通用しない。
今回は共同プロデュースという形で、「太鼓堂」の江村夏樹と「水牛」のわたしがやったが、デザイン、マスタリングだけでなく、おおくの人がこのCDに関わっている。いろいろな人の手を通って一枚のCDが完成する。共同作業だ。おおきな組織でないからできることがあるとすれば、「云々」はその証。だからこそたくさんの人にきいてもらいたい。
来月は江村夏樹の「云々」特集ページで、このCDに関わった人などに「云々」について云々言ってもらうことにしている。こうご期待!(三橋圭介)

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それではまた! 暑い夏を元気ですごしましょう。(八巻美恵 suigyu@collecta.co.jp)


2002年7月1日

「水牛のように」を7月号に更新しました。
インドネシアから28日に帰ってきました。メールをチェックすると、今月の原稿はひとつも届いていませんでした。その後の2日間で、これだけの原稿が集まったというわけです。最後に届いたのはもちろん、御喜美江さんの追伸です。このサイトをはじめて1年半、原稿の催促はほとんどしたことがありません。待つこと、それがわたしのしごとかな。
今月は音楽と関係のある原稿ばかりになりました。「音楽」とひとことで言っても、いろいろなむきあいかた、かんがえかた、とりあげかたがあることを実感していただけると思います。
今月初登場の通崎睦美さんはマリンバ奏者。水牛からCD『届くことのない12通の手紙』が出ています。京都にいく機会があったら、わたしもぜひ案内してもらうことにします。
「カステラ楽団」を読んでいて、インドネシア往復の飛行機の中やホテル、コンサート会場などで見かけた子どもたちのことを思いました。みんな静かで落ち着いていてがまん強いのは、どこであれ自分のいるところと親やおとなを信頼しているからなのでしょう。

今月の「水牛通信電子化計画」は1冊だけです。
1986年には阿佐ヶ谷のブックインのような本屋さんが健在だったのです。本の選びかたもならべかたも独特で、しかもピカピカしている。本がしあわせそうに見える本屋さんでした。

ご存じのように矢川澄子さんが5月29日に亡くなりました。「当日発表」での朗読を思い出されたかたも多いのではないでしょうか。わたしもそのひとりです。
「矢川澄子さんを送る会」が予定されています。7月28日(日)午後5時から、早稲田奉仕園スコットホール(新宿区西早稲田2-3-1 電話03-3205-5411)で。会費は3000円です。矢川さんを送る気持ちがあれば、どなたでも参加できます。懇談会もあり、矢川さんの朗読のCDが配られることになっています。
その矢川さんのCDは水牛レーベルの最新作、「パンダ来るな」に続く自作朗読のCDになります。録音したのは3月30日で、それが矢川さんと会った最後。発売は秋にと考えていましたが、それまで待つ意味がなくなってしまいました。きょうの段階ではタイトルもまだ決まっていないのですが、「送る会」に間に合わせるべく、編集中です。それにしても亡くなって間もない人の声をずっと聞くのはなんだか不思議な感じです。矢川さんの声は、死がたとえ矢川さんの最後の作品だったとしても、それがすべてではないことをおしえてくれます。
水牛のCDはもうひとつ、江村夏樹作品集『云々』が進行中です。矢川さんのCDに続いて、あまり間を置かずに発売の予定。詳細は2枚とも次回にお知らせします。

それではまた!(八巻美恵 suigyu@collecta.co.jp)


2002年6月1日

「水牛のように」を6月号に更新しました。
初登場は先月の「書きかけのノート」で論じられている「またりさま」などの作曲者、三輪真弘さん。食事中に読んでもだいじょうぶだと思いますよ。佐藤真紀さんはパレスチナから帰ったばかりだそうです。ドクター・イノシタの尺八というのを聞いてみたいものです。6月5日の報告会にぜひおでかけください。実際に話を聞けるチャンスを逃す手はありません。御喜美江さんの連載は一年になりました。御喜さんの原稿が毎月あることで、「水牛のように」にはいつもやわらかな陽ざしがさしているようです。

「水牛通信電子化計画」には2冊追加しました。図版や楽譜を何とかしなければと思いつつ、まだ果たせていません。う〜む……

「水牛の本棚」ではようやく『カラワン楽団の冒険』が完成しました。

最近出たおもしろい本を3冊。
藤井貞和『ことばのつえ、ことばのつえ』(思潮社 2000円+税)
 藤井さんの最新詩集。輪になった回文、横書き、頭でなく真ん中でそろっているの、文字を反転したものなど、詩にもいろいろな書きかたがあるのです。それらのスタイルを眺めているだけでもおもしろい。藤井さんのあたまのなかはこんなふうになっているのかなとつい想像してしまうのでした。ことばのひとつひとつの意味はわかっても、そのつながりのぜんたいがわかっているのかどうか、あまり自信がありません。でも眺めているだけでいいのです。
藤本和子『リチャード・ブローティガン』(新潮社 2000円+税)
 『アメリカの鱒釣り』をはじめ、ブローティガンの作品を9冊も翻訳している藤本さんのブローティガンについての本。目次は4ページもあって、短いエピソードがたくさん並んでいます。ブローティガンの小説のよう。長谷川四郎やバーベリ、チェーホフなど、たくさんのひとが登場しますが、ブローティガンの娘アイアンシはとりわけ印象深い。それは藤本さんの聞く力でもあると思います。表紙には『アメリカの鱒釣り』の表紙と同じ写真が使われています。同じ写真の表紙の本が二冊平積みになっているのを本屋で見て、ブローティガンにふさわしい光景だと思いました。
片岡義男『謎の午後を歩く』(フリースタイル 2200円+税)
 片岡さんの撮った写真と、写真論がひとつになった本。被写体は空き箱やキャンディなどのモノ、ハワイ、本、雑誌、そして花。写真に撮ることを通して、片岡さんのものの見方が平明で明快なことばで書かれています。だけれども、平明なことばで書かれていることの奥は深く、一枚の写真は世界のありようまで写し出す。シンプルで端正な平野甲賀さんの装幀も内容と同じ意味で見飽きない、美しい本です。

それではまた!(八巻美恵 suigyu@collecta.co.jp)




2002年5月1日

トップページのイラストもサッカーの五月です。

「水牛通信電子化計画」をはじめて一年、ようやく5冊分公開することができました。入力してくださったみなさん、ありがとう。公開するために校正をしながらひととおり目を通しました。作っていた当時よりもよく理解できるものあり、思わず笑ってしまうものあり。イラストや写真、ハングルなどはまだ入っていないので、完全とはいいがたいのですが、このサイトの多彩な母胎(?)を味わっていただけると思います。まだ手のついていない号もたくさんあります。読んでみておもしろいと思ったら、ぜひ入力にも力を貸してくださるようお願いします。

「水牛のように」を5月号に更新しました。
緊急医療救援のためにパレスチナにいる佐藤真紀さんからの報告は4月29日に届いたばかり。パレスチナはどんどんすさんでいるようです。さきほど届いたメールには「今日はベツレヘムで外出禁止令がとけるというので、難民キャンプの子どもたちに会いに行こうとしましたが、チェックポイントには戦車が3両ぐらいいて追い返されました。なかなか厳しい状況が続きます。」とありました。杉山洋一さんの原稿にはイタリアの老婦人の語るパルチザンのはなしもあります。この地球が戦争から自由になることはあるのでしょうか。

「水牛の本棚」にはフィリピンの作曲家ホセ・マセダの「Music Research in Asia」を。公開した「水牛通信」1987年4月号でもマセダの「東南アジア音楽における古典主義」が読めます。『カラワン楽団の冒険』の完成は来月の予定です。

コンサートと催しのご案内を↓に。

チベット舞台芸術団(Tibetan Institute of Performing Arts : TIPA)来日公演。

・6月15日(土)栗東芸術文化会館さきら中ホール 077-551-1455 (さきら)
・6月17日(月)世田谷パブリックシアター  03-5280-9996(カンバセーション)
・6月18日(火)伊丹アイフォニックホール 0727-80-2110(アイフォニックホール)

TIPAはダライ・ラマ14世文化事業部の後援により、チベットの伝統音楽の復活、舞台芸術の保護を目的に1959年にヒマラヤの麓インド、ダラムサラで設立。俳優、教師、音楽家、美術家、訓練生、料理人などを含め約120名が共同生活を送っており、発声法、歌唱法、舞踊、理論、楽器演奏など、舞台芸術の全般的なトレーニング機関として、伝統的な音楽、舞踊、演劇の最高峰が受け継がれています。

「芸術について考える」 絵(富山妙子)と音楽(高橋悠治)のコラボレーション
  東京ウィメンズプラザ視聴覚室(営団地下鉄表参道駅B2出口より徒歩5分) 2000円
・5月27日(月)午後6時30分
  スライド「20世紀へのレクイエム・ハルビン」「きつね物語 桜と菊の幻影に」
  トーク 「“絵画”ではない絵画」 富山妙子
・5月28日(火)午後6時30分
  スライド「海の記憶 朝鮮人従軍慰安婦に捧げる」「帰らぬ少女 タイからきた少女の物語」
  トーク 「“音楽”ではない音楽」 高橋悠治
 問い合わせ 03-3425-6095(火種工房)


それではまた!(八巻美恵 suigyu@collecta.co.jp)


2002年4月1日

「水牛のように」を4月号に更新しました。
きょうのニュースでもパレスチナのひどい状況が報じられています。佐藤真紀さんのパレスチナからの報告は、3月中旬にメールでいただいたものです。佐藤さんは日本国際ボランティアセンター(JVC)でパレスチナを担当し、水牛楽団のレパートリーだった「パレスチナのこどもの神さまへのてがみ」をパレスチナのこどもたちといっしょに歌ってみたいといいます。「ぼくたちはまだきぼうをもっています」と神さまにてがみを書いたこどもたちはおとなになったけれど、その希望はまだ叶わぬままです。佐藤さんのレポートはもちろんこれひとつだけではありません。JVCのサイトやピースライブラリにはもっと最近の報告があり、そこに暮らすひとたちの声に耳をすますことができます。
イナン・オネルさんの詩は今月はお休み。そのかわり、イナンさんのトルコ詩の朗読を聞く機会があります。4月28日(日)午後1時30分から、東京西荻のハートランドで。詳しくはこちらをごらんください。

「水牛のように」のバックナンバーに著者別のPDFファイルができました。製作は片倉啓文さん
片倉さんからお手伝いしましょうというメールをいただいて、ぼんやりかんがえていることを書き送ったら、アッという間にファイルを作ったという連絡がきました。おどろきです。PDFは印刷して読むのに適したファイルです。モニタで読む派の人たちのためには、そのうちTTZ版も用意しようと思っています。にぎやかになりそう。「水牛通信」のころは、何でも自力でやってしまおう、というのがモットーで、実際にそのほうがらくにものごとが進んだのでした。今は反対に他力本願が中核になっていると思います。何かをひとにおしつけているわけではありません。片倉さんのように、頼んだわけでもないのに、自分の意志で助けてくれるひとがちゃんと現れるのです。
「水牛通信電子化計画」も他力本願のおかげ(?)ですすんでいます。来月あたりからそろそろ公開をはじめられるかもしれません。

「水牛の本棚」は先月と同じくふたつ。
『カラワン楽団の冒険』の続きと、スラマット・アブドゥール・シュークルの2つめは「MAHA-SVARA」。『カラワン楽団の冒険』には写真や絵がたくさん入っています。写真はドキュメンタリーに力をあたえてくれる。『ジット・プミサク』のときのようにTTZ版を作るときには、それらもいれなければと思っています。他力本願とはいえ、自分でやることもたくさんあるのです。

3月に予告した御喜美江さんのちいさな本は『たんぽぽ畑』というタイトルで、無事コンサートのときにお目見えしました。B6版64ページ。A4版しか印刷できないプリンタを駆使しました。どうせ手作りなんだからと、表紙にはいろいろな紙を使って楽しみました。すこしですが、在庫があります。興味のある方はメールをください。

それではまた!(八巻美恵 suigyu@collecta.co.jp)


2002年3月1日


「水牛のように」を3月号に更新しました。
今月は御喜美江さんのコンサート「アコーディオンワークス2002」があります。これまで彼女が「水牛のように」に書いたものを集めて、ちいさな本にし、そのコンサートで売ってみようかなと計画しています。オンデマンドといえばかっこうはいいけれど、まあ内職ですね。うまくいくでしょうか、当日のお楽しみです。

「水牛の本棚」にはふたつ。
ひとつは『カラワン楽団の冒険』の続きです。「水牛のように」の「モンコン・ウトックのCDブックから」とあわせて読むと、いっそう興味深いと思います。もうひとつはインドネシアの作曲家スラマット・アブドゥール・シュークルの「'Microphonism' drowns out performing arts」。スラマットはときには家に石を投げつけられることもあったほどの前衛だとインドネシアの作曲家は言います。前衛音楽の長老はスラバヤではこどもたちを教えています。チントンシャンと三味線の音を口でうたうのを口三味線といいますが、スラマットには口ガムランの曲があります。たとえ口でもガムランはアンサンブルなので、たくさんのひとがいろいろな楽器を口で奏でるのです。口三味線とはちょっと違います。こどもや貧しいひとは楽器を持っていないことが多いから、自前の楽器として口を使うのだとスラマットから聞いたことがあります。ネノナノとうたいながらフシを覚えてしまえば、ガムランもできるようになるのかもしれません。

ガムランといえば、東京音大民族音楽研究所のガムラン社会人講座の発表会があって、去年一年間だけ学んだわたしはことしはお客のひとりとして見にいきました。佐藤まり子先生には「一年やったくらいではまだ入口にも達していない」と言われるしまつ。でも、見るよりは演奏するほうが楽しいと感じたのは、一年の成果だと思いました。「病気の人たちとも向かい合って、ガムランを積極的に役立てたい」とまり子先生がプログラムに書かれているのを読んで、鮮明に思いだしました。ガムランの打楽器を叩いたあとはすばらしくお腹がすいたことを。よく眠れるという話もききます。ガムランのかんがえかたも楽器のひびきそのものも、知らない間に体にはいりこんでしまうのですね。

2月17日の「当日発表」は無事に終了しました。内容についてはこの後にある三橋さんのレポートを読んでいただくとして、特筆しておきたいのは、武蔵大学大講堂の建物としての魅力です。高い窓からは木や曇り空が見えて、表通りのバスの音などもきこえてきます。広くて開放的で、そして長い時間を生き延びてきた建物そのもののあたたかさ。
いま東京で、何か催しものをやろうと思ったとき、むつかしいのは自由に使うことのできる会場を探すことにつきると思うようになりました。会場はいつも出入り自由。こどももあかんぼうもいて、ちいさな声でしゃべったり泣いたりしている。外には食べるものが豊富に用意されている。こういうコンサートの光景はタイではふつうのことで、いつもうらやましくなります。日本ではそのどれもないのがふつうというさびしさ。ほんとうにさびしいことです。学校の規則でできなかったけれど、「当日発表」のときも、会場で熱いお茶でも飲みながら出演者と話す時間が持てたら、もっとよかったのになあと思わずにはいられません。

それではまた!(八巻美恵 suigyu@collecta.co.jp)



「当日発表」レポート  三橋圭介

2月17日、「当日発表」が武蔵大学の講堂で取りおこなわれました。会場時間前からお客さんがすこしずつ集まりはじめ、3時頃にはほぼ満員の盛況。そのあと椅子を足したりしながら、総勢120人のお客さんにお楽しみいただきました。

開演前から謎の進行人の松井茂さんのパフォーマンスがはじまりました。パソコンの「一、二、三」のランダムな声とともに作者と長縄亮とわたしが「一、二、三」のランダムを歩いて実践する「pure poem20020217」という作品を実演しました。このあと、Amida20020217という作品を実演し、出演者の順番を決めるあみだをガムテープで作成し、出演者の順を決定。順番は藤井貞和、矢川澄子、高橋悠治、平田俊子とあいなりました。

藤井貞和さんは一人20分という時間を気にしすぎて、少々はしょり気味。ブラジルから来た留学生の女の子に詩を読んでもらい、時々でてくる言葉(ことばのつえは「詩杖」)に関連する造語による漢字標識のようなものを見せて、床においては拾われを繰り返す。床に雑然とばらまかれた漢字標識が意味を積み上げていくと同時に、意味を解放するようで楽しい。この他に説明と言い訳を加えながら、源氏物語の大先生は源氏に基づくユーモア短歌(他人の作品)をはずかしそうに読み上げたり、「回文」を読んだりしました。

矢川澄子さんは自作詩の朗読ははじめて。まず言葉遊びのブラックな詩を読んで、後半は「ミステリー・みすてられた」。こちらは秋山さと子が亡くなったことをモチーフとした言葉遊びの作品で、朗読の途中に歌がはさまれる。藤井貞和さんのよれよれっとした朗読に匹敵するよれよれ節だけど、妙に味わい深く、なまめかしく感動。

高橋悠治さんのピアノ演奏は、話がよくきこえなかったので曲名はわかりませんが、新作と旧作2曲。「間違えれば間違えるほど正しい」という新作は、微妙な音色が空間にしみこんでいくような曲。この他に朝鮮民謡に基づく「まわれまわれ糸車」は糸を紡ぐように音を紡ぎ続けていく。こちらは装飾的な音色の変化の曲で、高橋悠治独特のねじれが面白い。

平田俊子さんは変な言い方だけど、もっとも詩らしい詩を詩っぽく朗読して最後にふさわしい堂々としたもの。「夜ごと太る女」をはじめとして日付の詩とか何編かを読んでくれた。でもすこし難しい詩だった。わかりにくいというのではなく、彼女のものを見る視点が自分とはちがう生活者だったり、女だったりするところで、どこか冷ややかに斜めからみていたりする。でもそんな平田さん、カッコよかった。


2002年2月1日



「水牛のように」を2月号に更新しました。
今月も盛りだくさん、楽しんでください。
イナン・オネルさんはトルコから日本に勉強にきています。「パンダ来るな」の藤井貞和さんや、松井茂さんなどの詩の同人誌「ミて」で、イナンさんが日本語に訳したトルコの詩を読みました。日本人の日本語とはちがう日本語のセンスが感じられます。きっと自分でも詩を書くにちがいないと思ったのは正解でした。
ヨーロッパに暮らす御喜美江さんと杉山洋一さんにはやはりユーロはおおきな問題のようです。

「水牛の本棚」には小沼純一さんの2冊目の詩集『アルベルティーヌ・コンプレックス』と、ウィラサク・スントンシー『カラワン楽団の冒険』を。カラワン楽団がどのようにして生まれたか、そして、どのような困難をくぐりぬけてきたのか、この本が出版されたときには、むさぼるように読んだものでした。タイ語はまったく読むことができませんでしたから。スラチャイはわたしをだれかに紹介するときに、かならず「ミエはタイ語が話せる、しかも日本で勉強したんだ」と自慢げに付け加えます。ともだちのちいさな自慢にこたえるためにも、もっとタイ語を勉強しようとそのたびに思いながら、なかなか果たせないまま。訳者の荘司和子さんはわたしのタイ語の先生でもあります。生産性のひくい生徒ですみません。
以前スラチャイの名刺に印刷されていた「自由思想の葦」ということばをときどき思い出します。そんなふうに名乗れたらいいなあ、と。

今月は水牛と関係のふかいイベントが3つあります。水牛の一周年記念をかねた、詩の朗読とピアノの午後「当日発表」をはじめ、通崎睦美さんのミニコンサート、江村夏樹さんのコンサートなど。日時、出演者、チケットなどの詳細はこちらをごらんください。そして、ぜひおでかけください。
コンピュータのモニタを介しての交流(?)はおもしろい。でも実際にあつまることができれば、別の楽しさを味わえます。両方あるといいと思い、「当日発表」を機に、これからもそうした企画を続けていこうと思っています。生産性が低いわりに望みは高いのです。(笑)応援してくだいね。

それではまた!(八巻美恵 suigyu@collecta.co.jp)




いま、CDをつくることはそんなに大変じゃない。パソコンがあって焼く機械さえあれば、すぐにできる。水牛というレーベルもそういう時代だからこそできた。テープだった水牛楽団のうたがCDでよみがえった。
 
最近、「水牛とは?」ときかれてこういうコピーができあがった。

 水牛のCDは、自立したデジタルのクラフト。
 一枚一枚つくりながら、道をつくる。
 その道は作り手と聴き手をつなぐ道。
 水牛に代表される東南アジアの文化にこころを寄せ、
 簡素だが、たくさんの友情にささえられている。

このコピーは水牛楽団の元になったカラワン楽団のスラチャイ・ジャンティマトーンの「カラワンの詩」(荘司和子訳)が対になっている。

 さあ、ぼくの歌を聴きにおいで、
 誰もいない一本の水牛道を
 歌を引いて
 歌を引いて進もう
 
重い重い連帯のうたは軽やかな足取りをとりもどし、同志からあたたかな友情へ。もちろんあたらしい出会いから友情もうまれる。「パンダ来るな」「12通の届くことのない手紙」はだれにどのように届いたか。

いま、あたらしいCDの制作に取りかかっている。コンポーザー=パフォーマーの江村夏樹作品集(江村との共同プロデュース)。かれのとらえどころのない音楽の佇まいをどう伝えるか。さっきまで我が家でバッハや坂本龍一を楽しそうに弾いていた素顔の江村をどう伝えるか。それは作り手の思いをもることでしかない。

江村の思いとわたしの思いをぶつけて、ひとつのかたちにしていく。ふたりの思いに横からアドバイスしてくれる長縄亮という友人もいる。でも妥協はしない。喧嘩もしない。「思い・思い」を「重い・重い」と感じながら、たくさんある可能性から多様性に満ちたひとつの道を見いだしていく。それは苦しくもあり楽しい作業。

CDをつくることはそんなに簡単じゃない。見た目は簡素かもしれない。でもそれぞれの思いの折りかさなる重いうたがつまっている。どんな風にきいてくれもかまわない。でも作り手の「おもい」が届けられる時、「作り手と聴き手をつなぐ道」は開かれる。躓き、立ち止まりながら、そしてあたらしい出会いを待ちながら。でも「たくさんの友情にささえられている」からすこしずつ進むことができる。「歌を引いて進もう」。それは今も変わらない。

(三橋圭介)


◆2002年1月1日◆



新しいカレンダーの表紙をめくって、1月。

「水牛のように」を2002年1月号に更新しました。
片岡義男さんの「社員証の番号」はこういう時代のあたらしい年の幕開けにぴったりの詩だと感じます。
長縄亮さん、杉山洋一さん、桝井孝則さんははじめての登場です。長縄さんはA-DOONさんを紹介してくれました。詩を書いているのを知ったのはわりと最近のことです。杉山さんは「水牛通信」の最年少の購読者だったひと。当時の中学生がおとなになるのはあたりまえですが、今ではイタリアに暮らす音楽家です。桝井さんは精力的に「水牛通信」の電子化をになってくれています。当時を知らないひとが熱心に入力してくれるのがうれしいと同時に、どこかふしぎでもあります。
「届くことのない12通の手紙」にかかわった人たちが、このCDの魅力について書いてくれました。読んで、ぜひ聴いてください。

「水牛の本棚」には小沼純一さんの詩集3冊を置く予定です。今月は1989年に出版された最初の詩集『し あわせ』を。小沼さん自身もそれぞれ1冊づつしか持っていない、まぼろしの詩集を貸してもらって入力しました。入力がおわったら、ちゃんと返却しなければ。小沼さんはもう詩は書かないと言っていたけど、ほんとかな。

さむいときに外を歩いていると、おもわず熱帯を夢見てしまうことがあります。この冬は夢がかなって、一週間ほどの短い間でしたが、タイでカラワンのスラチャイとモンコンと、いっしょに過ごすことができました。ふたりともちゃんと妻子のいる家をかまえてはいるのですが、むかしと同じキャラバン暮らし。2か月分の予定表(といっても、ノートの切れ端に書かれたメモ)を見せてもらったら、家にいる時間はほとんどない。生活費はコンサートで稼いだお金から必要な分を銀行から送ればいいし、携帯電話でいつでも連絡はつくし、彼らにとっては何の問題もない生活のようでした。しかも携帯電話で次から次へとライブの依頼がきます。カラワンの歌はもう古いという意見はタイでも日本でもよく聞くけれど、当人たちはそんな意見を気にするふうはまったくなく、彼らを必要とする人たちのために死ぬまでうたいつづけるのでしょう。「あと20年はできる」というスラチャイに「そんなにやるのかなあ、とっととあの世に行って、のんびりしたい」というモンコン。
タイに行くたび彼らといっしょにうろうろするばかりで、名高い名所旧跡には行ったためしがありません。でも観光案内書にはけっして出ていないところに行き、おもしろいひとたちと会っては、必ずいっしょにごはんを食べて、話を聞く。カラワンのつくるwebはバーチャルではなく、リアルそのものです。タイの文化におおきく開いているこの窓をたいせつにしよう。

水牛主催で詩の朗読会をおこないます。2月17日(日)午後3時から、武蔵大学大講堂で。藤井貞和、平田俊子、矢川澄子、高橋悠治のみなさんの出演を予定しています。武蔵大学は西武新宿線江古田駅から歩いて数分、大講堂は関東大震災を生きのびた、おもむきのある古い建てものです。どうぞお越しください。2000円です。予約はメール(suigyu@collecta.co.jp)でも受け付けます。
いつの間にか、詩がおおきな顔をしている水牛になってきましたね。


それではまた!(八巻美恵 suigyu@collecta.co.jp)



suigyu@collecta.co.jp


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